リレー日記
おばんですー
投稿日時:2015/05/14(木) 14:27
こんにちは。今日から一年生がリレー日記デビューということなので、僕がトップバッターを務めさせてもらいます。
まずは自己紹介からですね。秋田県立秋田高等学校出身、鐙 裕樹(あぶみ ひろき)と申します。鎧ではありませんので、注意してください。生まれは埼玉県の三郷市で、その後しばらく千葉県船橋市に移り、幼稚園から小学校卒業までは神奈川県横浜市に住み、中高は秋田に住みました。僕は高校時代、部活をするためだけに学校に通っていたようなものだったので、当然勉強を完全におろそかにしており、一年間横浜のトフルゼミナールで勉強してなんとか外語大に合格できました。なぜウルドゥー語を専攻したかというと、まず一つはアラビア文字が美しいとおもったことと、パキスタン・アフガニスタンなどの地域に興味があったからです。正直合格できると思っていなかったので、合格発表の日、パソコンで自分の番号を見つけたときはもう号泣しました。最高でした。
僕は高校時代ラグビー部に所属しており、三年間それはもうキツイ毎日でした。そもそも僕がラグビーと出会ったのは、小学校二年生のときでした。ある週末の日曜日、父が僕に遊びに行こうと誘い、何も知らずついて行った先はとあるラグビーグランドでした。そのまま何もわからず練習に参加させられ、そのうち気付いたら試合に出され、、、、そして気づいたら現在もラグビーをやっている、そんな状態です。しかし、ここに至るまでラグビーには楽しいことはもちろん、かなりツライことも経験させられました。以下、小学校時代から順を追って僕のラグビー体験記を述べさせてもらいます。
まずは小学校時代。一言で言えば、ほぼ無敗の五年間でした。というのも、当時所属していた神奈川の某スクールには本当に上手な人たちがたくさん集まっており、小学校三年生から始まる神奈川県大会は六年生まで全て優勝するという、それはそれは強いチームでした。そのときのスクールのチームの同期は現在、ラグビーの強豪校といわれる大学でレギュラーを目指して頑張っており、すでにレギュラーになった者もいるそうです。この五年間、当たり前のように勝ち続けていた経験は、多分ラグビーを少なからず「面白いな」と思わせてくれた要因だと思っています。
次は、秋田で始まった中学校時代。一言で言えば、最悪でした。もちろん楽しいこともありました。まったく知らない新しい土地で独りぼっちだった僕に、ラグビースクールの先輩方がたくさん声をかけたり遊んで下さり、早く秋田に慣れることができまそた。しかしラグビーの面から見てみると、あの小学校時代の栄華はどこへ行った?と思うほど試合には勝てず、自分自身負けに慣れていったような感覚がありました。そしてとどめは中学三年の時。僕がキャプテンをしていた最後の一年のチームは個が強い人が多く、夏は他の各上相手にも対等に戦えていました。しかしどうしたことでしょう、月日が経つにつれチーム内のまとまりがどんどん崩れていき、最後には監督からも見放されて地のどん底状態でした。その理由は未だにわかりません。あの時は、かなり真剣にラグビーをやめようと考えました。しかしそれでも続けていけたのは、親しかった同期が支えてくれたからだと僕は確信しています。
次こそはもっと本気でラグビーをしたい!そんな期待とやる気にを胸に、県下の名門秋田高校に入学しました。この高校三年間はあまりにも濃厚な三年間で、すベては語り尽くせないので、一番印象的だった試合二つを取り上げたいとおもいます。
この二つの試合はいづれも県の花園予選であり、一つ目は僕が一年生のときの準決勝VS秋田中央高校の試合です。その代の三年生は五人と少なく、チームの部員数もそこまで多いほうではありませんでした。秋田中央高校とは夏の試合で、60点差近くの大敗を喫していたため、おそらくほとんどの人が秋田中央が余裕で勝利するだろうと思っていたはずです。しかし、完全に各上の相手に対しても三年生たちは本気で秋田中央を倒そうとしていました。自分たちのチームは決定力に欠けるチームであったので、DFを鍛えてロースコアにもちこまないと厳しいため、何回も相手のビデオをみて攻撃パターンを研究したり、練習の大半をDF練習に割きました。
そして試合当日。見事にDFがうまく機能して、前半を0対0で折り返しました。そして後半相手のペナルティーからキックで3点を入れ、なんと先制点を取ったのです。その後中央の反撃で1トライを奪われ3対10に。それでもラスト5分から試合終了まで、相手ゴールを目前に何度も攻め続けました。しかし試合は終了、3対10で敗れました。この試合に僕は14番で出場しており、先輩方がここまで本気になって戦う姿に本当に感動しました。確かに部員数は多いほうがいいのでしょう。けれど人がいないことを理由にせず、今できることを考えて努力していた先輩がたは本当に尊敬しています。
二つ目の試合は、自分が三年生の時に迎えた最後の予選の試合です。試合前にも関わらず、最後の円陣のとは、三年間の思いが交錯して涙がとまりませんでした。結果は初戦敗退。同じトーナメントのブロックに秋田中央がいたので、二年前の三年生のリベンジを果たそうと思っていましたが、そこに行くことすら叶いませんでした。それでも、三年間必死にラグビーしてこれてよかったと思え、とてもとても厳しく怖い監督、一緒に戦った仲間と会えて本当によかったよ思えました。
前述したように、ラグビーには精を出したものの勉学にはまったく励まなかったため、一年間の浪人生活もなかなか大変なもので、ラグビーについて考えている余裕はありませんでした。しかし、浪人中毎日カンタベリーのジャージを着て登校していた僕は試験当日にも同じ服を着ていき、それに気づいたのか先輩の中村拓真さんに声をかけて頂いて「お、外大にもラグビー部あるのか!」と試験一時間前にして新たなモチベーションが加わり、かろうじて合格できました。拓真さんありがとうございます。経験年数がやや長いのにも関わらず、ご覧の通り体もスキルもまったくの低レベルです。それでも、ラグビーは大好きです!またこのようにラグビーができることが嬉しくてたまりません。早くチームの力になれるように頑張るので、みなさんよろしくお願いします。
最後に、同期のみんなこれからよろしく。今までラグビーやってきた中で、自分は同期に支えられた面が多かったので、今いるメンバー誰一人欠けることなく、何かあったら相談しあえる関係を築いていきたいと心から思っています。四年間頑張っていこう!
次は井尾圭秀君です。自由に自己紹介お願い!
まずは自己紹介からですね。秋田県立秋田高等学校出身、鐙 裕樹(あぶみ ひろき)と申します。鎧ではありませんので、注意してください。生まれは埼玉県の三郷市で、その後しばらく千葉県船橋市に移り、幼稚園から小学校卒業までは神奈川県横浜市に住み、中高は秋田に住みました。僕は高校時代、部活をするためだけに学校に通っていたようなものだったので、当然勉強を完全におろそかにしており、一年間横浜のトフルゼミナールで勉強してなんとか外語大に合格できました。なぜウルドゥー語を専攻したかというと、まず一つはアラビア文字が美しいとおもったことと、パキスタン・アフガニスタンなどの地域に興味があったからです。正直合格できると思っていなかったので、合格発表の日、パソコンで自分の番号を見つけたときはもう号泣しました。最高でした。
僕は高校時代ラグビー部に所属しており、三年間それはもうキツイ毎日でした。そもそも僕がラグビーと出会ったのは、小学校二年生のときでした。ある週末の日曜日、父が僕に遊びに行こうと誘い、何も知らずついて行った先はとあるラグビーグランドでした。そのまま何もわからず練習に参加させられ、そのうち気付いたら試合に出され、、、、そして気づいたら現在もラグビーをやっている、そんな状態です。しかし、ここに至るまでラグビーには楽しいことはもちろん、かなりツライことも経験させられました。以下、小学校時代から順を追って僕のラグビー体験記を述べさせてもらいます。
まずは小学校時代。一言で言えば、ほぼ無敗の五年間でした。というのも、当時所属していた神奈川の某スクールには本当に上手な人たちがたくさん集まっており、小学校三年生から始まる神奈川県大会は六年生まで全て優勝するという、それはそれは強いチームでした。そのときのスクールのチームの同期は現在、ラグビーの強豪校といわれる大学でレギュラーを目指して頑張っており、すでにレギュラーになった者もいるそうです。この五年間、当たり前のように勝ち続けていた経験は、多分ラグビーを少なからず「面白いな」と思わせてくれた要因だと思っています。
次は、秋田で始まった中学校時代。一言で言えば、最悪でした。もちろん楽しいこともありました。まったく知らない新しい土地で独りぼっちだった僕に、ラグビースクールの先輩方がたくさん声をかけたり遊んで下さり、早く秋田に慣れることができまそた。しかしラグビーの面から見てみると、あの小学校時代の栄華はどこへ行った?と思うほど試合には勝てず、自分自身負けに慣れていったような感覚がありました。そしてとどめは中学三年の時。僕がキャプテンをしていた最後の一年のチームは個が強い人が多く、夏は他の各上相手にも対等に戦えていました。しかしどうしたことでしょう、月日が経つにつれチーム内のまとまりがどんどん崩れていき、最後には監督からも見放されて地のどん底状態でした。その理由は未だにわかりません。あの時は、かなり真剣にラグビーをやめようと考えました。しかしそれでも続けていけたのは、親しかった同期が支えてくれたからだと僕は確信しています。
次こそはもっと本気でラグビーをしたい!そんな期待とやる気にを胸に、県下の名門秋田高校に入学しました。この高校三年間はあまりにも濃厚な三年間で、すベては語り尽くせないので、一番印象的だった試合二つを取り上げたいとおもいます。
この二つの試合はいづれも県の花園予選であり、一つ目は僕が一年生のときの準決勝VS秋田中央高校の試合です。その代の三年生は五人と少なく、チームの部員数もそこまで多いほうではありませんでした。秋田中央高校とは夏の試合で、60点差近くの大敗を喫していたため、おそらくほとんどの人が秋田中央が余裕で勝利するだろうと思っていたはずです。しかし、完全に各上の相手に対しても三年生たちは本気で秋田中央を倒そうとしていました。自分たちのチームは決定力に欠けるチームであったので、DFを鍛えてロースコアにもちこまないと厳しいため、何回も相手のビデオをみて攻撃パターンを研究したり、練習の大半をDF練習に割きました。
そして試合当日。見事にDFがうまく機能して、前半を0対0で折り返しました。そして後半相手のペナルティーからキックで3点を入れ、なんと先制点を取ったのです。その後中央の反撃で1トライを奪われ3対10に。それでもラスト5分から試合終了まで、相手ゴールを目前に何度も攻め続けました。しかし試合は終了、3対10で敗れました。この試合に僕は14番で出場しており、先輩方がここまで本気になって戦う姿に本当に感動しました。確かに部員数は多いほうがいいのでしょう。けれど人がいないことを理由にせず、今できることを考えて努力していた先輩がたは本当に尊敬しています。
二つ目の試合は、自分が三年生の時に迎えた最後の予選の試合です。試合前にも関わらず、最後の円陣のとは、三年間の思いが交錯して涙がとまりませんでした。結果は初戦敗退。同じトーナメントのブロックに秋田中央がいたので、二年前の三年生のリベンジを果たそうと思っていましたが、そこに行くことすら叶いませんでした。それでも、三年間必死にラグビーしてこれてよかったと思え、とてもとても厳しく怖い監督、一緒に戦った仲間と会えて本当によかったよ思えました。
前述したように、ラグビーには精を出したものの勉学にはまったく励まなかったため、一年間の浪人生活もなかなか大変なもので、ラグビーについて考えている余裕はありませんでした。しかし、浪人中毎日カンタベリーのジャージを着て登校していた僕は試験当日にも同じ服を着ていき、それに気づいたのか先輩の中村拓真さんに声をかけて頂いて「お、外大にもラグビー部あるのか!」と試験一時間前にして新たなモチベーションが加わり、かろうじて合格できました。拓真さんありがとうございます。経験年数がやや長いのにも関わらず、ご覧の通り体もスキルもまったくの低レベルです。それでも、ラグビーは大好きです!またこのようにラグビーができることが嬉しくてたまりません。早くチームの力になれるように頑張るので、みなさんよろしくお願いします。
最後に、同期のみんなこれからよろしく。今までラグビーやってきた中で、自分は同期に支えられた面が多かったので、今いるメンバー誰一人欠けることなく、何かあったら相談しあえる関係を築いていきたいと心から思っています。四年間頑張っていこう!
次は井尾圭秀君です。自由に自己紹介お願い!
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