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リレー日記

おまたせしました

投稿日時:2016/05/17(火) 17:49


 東京外国語大学ラグビー部のみなさん初めまして!
 神奈川県の桐光学園からやってまいりましたペルシア語科1年安達周平です。ちょっとしたハプニングがあり、遅くなってしまいました。大変すみませんでした。
 ついに僕もリレー日記を書くことになりました。もうご存知の先輩方もいらっしゃるかと思いますが、実は僕は以前よりこの日記を知っていて2年前の現役時代から読んでいました。まだ木和田さん達が入学前からなんです!僕は「イチロー」ですから、特に浪人時代の去年は受験にむけて心の折れそうな数々の場面ではこの日記に励まされてきたといっても過言ではありません。勉強しかない毎日のなかでリレー日記を読むことがおそらく唯一の楽しみでした。ですから、なかなか更新されなかったときには「まだかな~。早く新しいの出ないかな~」と毎日のようにホームページを開いていた記憶があります。昨年秋の「中田から耕平まで」のキャンペーン期間はほんとに毎日がワクワクでした。
 自分で言うのもなんですが、この日記の熱烈な一読者であるため、春休みの初めての練習に参加させていただいたときには「あの△△の○○さんだ~」と勝手にテレビにでている有名人に会ったような気分に浸っていました。

 僕のリレー日記愛を語るのはこのくらいにして、僕の入部までの道のりを簡単に紹介させていただきたいとおもいます。

 先にも申し上げましたが、僕は神奈川県の桐光学園でラグビー部に青春をささげました。消去法で入ったラグビー部に当初は愛着などありませんでした。毎日毎日メロスのように走り、「タックル」とかいう自傷行為を繰り返し、全身は傷だらけで最初の1年間ラグビーに楽しみなど微塵も感じませんでしたし、3年間も続くとすら思えませんでした。しかし、素晴らしい仲間に恵まれたおかげできつい練習をはじめ、「人間性」が露わになってくる夏合宿の終盤、顧問の先生との間で感じた社会の不条理など様々な壁を乗り越えることができ、最後は12番を背負うことができました。最後の大会では「ヒラガク」こと平塚学園に8-0で敗れてしまい、かつ監督には「一回戦で負けたのは数十年ぶりだぞ!」となんとも後味の悪い結果になってしまったのですが、引退したときには「このメンツだったからこそ続けられたんだ。やっててよかった。」と痛感したものです。桐光での思い出、珍事件はここでは書ききれないと思うのでこれから機会があれば小出しにしていきたいと思います。
 素晴らしい高校生活の代償に、僕は「浪人」という地獄行きの切符を手にしてしまいました。勉強する以外に何の自由も与えられず、変化のない毎日を過ごすのは苦痛以外のなんでもありません。また、僕はおそらくこの1年間で少し大げさですが、ほとんど他人とまともな会話をした記憶がありません。なぜなら浪人生が3人しかおらず、1人は全然授業に来ないし、残る1人はずっと自習室にこもっていたために会話の機会が限りなく少なかったのです。もしかしたら掃除に来たパートのおばちゃんが一番しゃべった人かもしれないです。このような孤独な浪人生活をおくっていた僕の心は荒み、根性は腐っていきました。 
 栄光の外大合格を手にしてからこの腐りに腐った根性をどうにかすべく、漠然と運動部に入ろうと考えていました。ラグビー部の先輩方がこんな僕を熱心に勧誘してくださり、また愉快な同期の雰囲気にのまれ、他の部活と迷っていた時期もありましたがとうとう4月12日、第二のラグビー人生を歩むことに決めました。
 若干早くも壁にぶつかりつつある今日この頃ですが、心技体一刻も早く元に戻し、さらに上を目指してチームの力になれるよう頑張りますのでどうかこれからもよろしくお願いします。 
 
 余談ですが新歓期にいただいたラグビジョン、両親に大ウケでした。

 文才に乏しいため、だらだらと駄文をならべてしまいましたがこの辺りでお次の新入生、「茗溪の王貞治」こと王駿之くんにつなぎたいと思います。ではまだ最初ですから、、、わんちゃん!茗溪でラグビーをしようと思ったきっかけをおしえて~!


 

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