リレー日記
これで本当に最後
投稿日時:2010/11/23(火) 00:19
ついに最後のリレー日記を書くことになってしまいました、モンゴル語科4年の荒古です。
何を書こうか悩んでたら久しぶりに更新が遅くなってしまいました。嘘です、バイトに明け暮れてました、申し訳ありません。
ラグビー部を引退したことによって、これからは本業の野球と水泳に精を出すこととなりました。長期休業に入る度に「あ~早く体当ててぇ」と感じていましたが、もう本気で体を当てるのは次の納会で最後になるんですね、寂しい限りです。でもこれでもう慢性的な体の痛みとの戦いから解放されたと思うと嬉しさもこみ上げてきますね。
まだ引退して1週間しか経っていないので、高校時代からラグビーを続けている先輩や同期、後輩が陥るという「やらなくなるとラグビーやりたくなる」という感覚は、今のところ僕には訪れていません。特に4年になってコンバートしたプロップをまたやるとか考えたくもありません(笑)
思い返せば短いともいえるし、長かったともいえる4年間でした。
新入生として大学に入り、軟式野球部に入ろうとしたけど当時4年生だったH田さんに止められ、ではアメフトでもやってみるかと入部を決意した日に同じく1年生だったラグビー狂のI東君に止められ、試合を見てアツさに惹かれて詐欺のような形でラグビー部に入部してしまい、ラグビー部最長身ともてはやされるも3日後に入部した森君に抜かれ、何の特徴もないヒョロい1年生に格下げ。それでも当時人数の少なかったラグビー部では入部順ではあったもののジャージをもらい国公立戦に出場させてもらいました。あの時はわけもわからずライン参加して見事にパスも放っていた覚えがあります。タックルされれば一撃で呼吸困難に陥り、そのとき強靭な肉体の必要性に気づいたと言っても過言ではないでしょう。
それからは連日筋トレの日々。高校ラグビー経験者でもない僕がラグビーのスキルで認めてもらおうなんて思えず、まず初めに取り組んだのが筋トレでした。最低でも週6でトレセンに通っていた日々、「トレセンの主」とか言われていた時代もあったことと思います。
その甲斐あって成人式の同窓会から地元の友達と飲むと必ず脱がされるぐらいの体には成長できました。
筋力がついたというだけでも自分にとっては大きな自信となり、ロックとしてやっていけるかなとも思い始めた頃のエイトへの転向。
自分がこんなFWとしては花形とも言われるポジションについてもいいのかと思っていた矢先の靭帯断裂。
ここが僕にとって1番の挫折ポイントであり、1番時間の経過が長く感じた時期でした。
医者に「治るまで1年かかる」と言われ、完治する頃には3年の夏という診断。未経験で始めたラグビー、残り1年強でレギュラー復帰は無理だろうと考え、野球部への転部を真剣に考えてました。
それでも練習や試合を外から見てて、「自分が出ていたら…」などと考えているうちに3年生の夏になり、ラグビーを続けている自分がいました。やはり思っていた通りコンタクトの経験不足で足を引っ張ってばかりでした。
あっという間の最上級生。前々から噂はあったものの真剣には考えていなかったプロップへのコンバートが現実となり、体重増加や下半身強化が当面の課題となり、その結果ある程度のレベルでは戦えるようにはなれたと思います。その代償としてついてきたのが首と腰の慢性的な痛み。これを感じられるようになったことで歴代のプロップの方々への尊敬の念が生まれました。
最上級生となってからの1年、伊東組としては年間通してコンタクトに特化した練習を続けてきました。おかげで試合でも前に出るタックルやヒットする際のゲイン力は格段に上がったことと思います。シーズン開始くらいには、自分では「実は歴代最強じゃね?」とか思っていました。
それで驕りが生まれたとは思いませんが、なかなか2勝目があげられないままシーズンが進み、2部降格の危機が近づき、チーム全体でどうすれば格上である海洋大との最終戦に勝てるかを考えました。
いくつもの運も味方につき、見事勝利を収めることが出来たときには涙が止まりませんでした。
4日後の練習日、プレーオフに進めるか引退が決まるか、運命の海洋大対東邦大の結果を練習着のままグラウンドで携帯を持って待っていたときのチームの雰囲気、忘れられません。
かくして自分にとってプレーオフ初挑戦が始まる。シーズン初戦で勝利した相手とはいえ、明らかに自分達より強くなっている相手と認識し、挑戦者としての決意を持って臨みはしたものの、結果はボロボロ。自分達の甘さ、弱さなどが露呈した試合だった。
悔しくないと言えばもちろん嘘になる。しかしいくら後悔しても最終戦はもう二度と戦うことが出来ない。結果を受け入れるしかない。そう思った途端海洋大戦とは違った涙があふれてきました。
もう同じメンバーでラグビーをすることはできないだろうし、こんなに青春することもないだろうと思う。
だからこそ今更ではあるけど、これまで僕のラグビー人生に関わってくれた全ての方々に感謝の意を述べさせていただきたいと思います。
今までラグビー部を根底から支えてくださったOB・OGの方々、ゼロからラグビーを教えてくれた先輩方、バカばっかだけどまたいい奴らばっかの同期、頼りない先輩だったのに最後までついてきてくれた後輩、そしてキツイことを言われながらもいつも陰から支え続けてくれたマネージャー、並びに関係者の皆様。本当にありがとうございました。また、今後とも外大ラグビー部のことをよろしくお願いいたします。
入部からの思い出を書いていたらここまでの長文になってしまいました。これから書く同期のみんなは書くこと絞ったほうがいいよ。それでは最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
荒古直俊
何を書こうか悩んでたら久しぶりに更新が遅くなってしまいました。嘘です、バイトに明け暮れてました、申し訳ありません。
ラグビー部を引退したことによって、これからは本業の野球と水泳に精を出すこととなりました。長期休業に入る度に「あ~早く体当ててぇ」と感じていましたが、もう本気で体を当てるのは次の納会で最後になるんですね、寂しい限りです。でもこれでもう慢性的な体の痛みとの戦いから解放されたと思うと嬉しさもこみ上げてきますね。
まだ引退して1週間しか経っていないので、高校時代からラグビーを続けている先輩や同期、後輩が陥るという「やらなくなるとラグビーやりたくなる」という感覚は、今のところ僕には訪れていません。特に4年になってコンバートしたプロップをまたやるとか考えたくもありません(笑)
思い返せば短いともいえるし、長かったともいえる4年間でした。
新入生として大学に入り、軟式野球部に入ろうとしたけど当時4年生だったH田さんに止められ、ではアメフトでもやってみるかと入部を決意した日に同じく1年生だったラグビー狂のI東君に止められ、試合を見てアツさに惹かれて詐欺のような形でラグビー部に入部してしまい、ラグビー部最長身ともてはやされるも3日後に入部した森君に抜かれ、何の特徴もないヒョロい1年生に格下げ。それでも当時人数の少なかったラグビー部では入部順ではあったもののジャージをもらい国公立戦に出場させてもらいました。あの時はわけもわからずライン参加して見事にパスも放っていた覚えがあります。タックルされれば一撃で呼吸困難に陥り、そのとき強靭な肉体の必要性に気づいたと言っても過言ではないでしょう。
それからは連日筋トレの日々。高校ラグビー経験者でもない僕がラグビーのスキルで認めてもらおうなんて思えず、まず初めに取り組んだのが筋トレでした。最低でも週6でトレセンに通っていた日々、「トレセンの主」とか言われていた時代もあったことと思います。
その甲斐あって成人式の同窓会から地元の友達と飲むと必ず脱がされるぐらいの体には成長できました。
筋力がついたというだけでも自分にとっては大きな自信となり、ロックとしてやっていけるかなとも思い始めた頃のエイトへの転向。
自分がこんなFWとしては花形とも言われるポジションについてもいいのかと思っていた矢先の靭帯断裂。
ここが僕にとって1番の挫折ポイントであり、1番時間の経過が長く感じた時期でした。
医者に「治るまで1年かかる」と言われ、完治する頃には3年の夏という診断。未経験で始めたラグビー、残り1年強でレギュラー復帰は無理だろうと考え、野球部への転部を真剣に考えてました。
それでも練習や試合を外から見てて、「自分が出ていたら…」などと考えているうちに3年生の夏になり、ラグビーを続けている自分がいました。やはり思っていた通りコンタクトの経験不足で足を引っ張ってばかりでした。
あっという間の最上級生。前々から噂はあったものの真剣には考えていなかったプロップへのコンバートが現実となり、体重増加や下半身強化が当面の課題となり、その結果ある程度のレベルでは戦えるようにはなれたと思います。その代償としてついてきたのが首と腰の慢性的な痛み。これを感じられるようになったことで歴代のプロップの方々への尊敬の念が生まれました。
最上級生となってからの1年、伊東組としては年間通してコンタクトに特化した練習を続けてきました。おかげで試合でも前に出るタックルやヒットする際のゲイン力は格段に上がったことと思います。シーズン開始くらいには、自分では「実は歴代最強じゃね?」とか思っていました。
それで驕りが生まれたとは思いませんが、なかなか2勝目があげられないままシーズンが進み、2部降格の危機が近づき、チーム全体でどうすれば格上である海洋大との最終戦に勝てるかを考えました。
いくつもの運も味方につき、見事勝利を収めることが出来たときには涙が止まりませんでした。
4日後の練習日、プレーオフに進めるか引退が決まるか、運命の海洋大対東邦大の結果を練習着のままグラウンドで携帯を持って待っていたときのチームの雰囲気、忘れられません。
かくして自分にとってプレーオフ初挑戦が始まる。シーズン初戦で勝利した相手とはいえ、明らかに自分達より強くなっている相手と認識し、挑戦者としての決意を持って臨みはしたものの、結果はボロボロ。自分達の甘さ、弱さなどが露呈した試合だった。
悔しくないと言えばもちろん嘘になる。しかしいくら後悔しても最終戦はもう二度と戦うことが出来ない。結果を受け入れるしかない。そう思った途端海洋大戦とは違った涙があふれてきました。
もう同じメンバーでラグビーをすることはできないだろうし、こんなに青春することもないだろうと思う。
だからこそ今更ではあるけど、これまで僕のラグビー人生に関わってくれた全ての方々に感謝の意を述べさせていただきたいと思います。
今までラグビー部を根底から支えてくださったOB・OGの方々、ゼロからラグビーを教えてくれた先輩方、バカばっかだけどまたいい奴らばっかの同期、頼りない先輩だったのに最後までついてきてくれた後輩、そしてキツイことを言われながらもいつも陰から支え続けてくれたマネージャー、並びに関係者の皆様。本当にありがとうございました。また、今後とも外大ラグビー部のことをよろしくお願いいたします。
入部からの思い出を書いていたらここまでの長文になってしまいました。これから書く同期のみんなは書くこと絞ったほうがいいよ。それでは最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
荒古直俊
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