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リレー日記

最高の四年間

投稿日時:2010/12/02(木) 02:09

はいさーい!
やっとこさ順番がまわってまいりました、カンボジア語科4年の廣岡でございんす。
 

プレーオフの東邦戦からもうすぐで一か月ですね。早いものです。
早いといえば自分の大学生活4年間も早いものでした。まさか皇子さんに「その気持ち悪いオカマっぽい歩き方はわざとやっているのかと」真顔で問いただされた私が大学生活のほとんどを3Kと呼ばれる"漢"の部活で過ごすとは思ってもいませんでした。
そんな東京外大ラグビー部に入部して私は本当に多くのことを学び、得ることができました。
ということで少し長くなりますが私のラグビー部歴史を語らせていただきます。


私がラグビー部と出会ったのは2007年の入学手続きの日でした。この時、ラグビー部は今のような大所帯ではなく、プレー人数ギリギリの小規模な部活でした。
皇子さん、伊藤さん属する荒川組の緻密な計画にはまり、バーミヤンでの裏☆家族自慢大会やフーチ工作員による風邪をいたわると見せかけたお涙ちょうだい作戦により私はラグビー部に入部することとなりました。

しかし、ラグビー部に入部してすぐに骨折するという珍プレーをやらかして、同期のみんなに遅れを取ってしまった私は八月の合宿まで同期とはほとんどしゃべったことがないじめじめした人間でした。
そんなこんなで夏合宿で初めての試合に出て、あまりにもふがいない動きしかできず、途中交代した試合で大泣きしてからいろいろ吹っ切れたようでラグビー部に馴染み始めました。
それからは秀策さんに「なんで手前試合にでてんだ」と試合中にキレられながら大輔とともに怒らつつ一年目を過ごしました。
 

そんなつらい時期を過ごし何度もなんども辞めようと思いながら誰にも相談できずに二年生になり、ある日の練習後に当時キャプテンだった太介さんに部活を辞めさせていただきたいという旨を相談しました。

そこで、同期に自分の意思を伝えようと思いバーミヤンに召集をかけ、部活を辞めたいという気持ちを伝えました。しかし、ここで思いもよらず、遥が「これからもお前とラグビーをしたい」と熱い気持ちをぶつけてくれ、他のみんなも思い思いの言葉をかけてくれました。
私は同期がこんなにも真剣な気持ちで接してくれたことに感動して、部活に残ることを決めました。


……しかし、これは秘密裏に打ち合わせが行われたシナリオ劇でした!
なんとこの日の前日に、私の辞めようという意思を知った同期が事前に集まり私を辞めさせないようにするための打ち合わせを行っていたのです。
まんまとはめらちまったよ!さすがっすわ、諸葛亮孔明!
 

けれども、この事件のおかげで私は同期との距離がより一層近いものになりました。ここから同期と本当の仲間になれた気がします。


三年になって、春に磯山が一足先に留学に行き、年度の途中で抜ける申し訳なさを感じながら部活に参加していました。
そしてこの年の夏合宿を機に一年間部活を休部させていただき、カンボジアに留学しました。

そして10か月の留学を終え部活に復帰しました。


はじめの頃は一年生の顔と名前が覚えられず苦労しました。そんな名前を覚えられない私でも一年生たちは受け入れてくれました。

夏練から復帰しましたが、すでにチームの土台が出来上がっていたこともありシーズンはあまり試合には参加できませんでした。それでも同期が軸となった今年のチームに参加できて私はとても楽しかったです。

台風の中海洋大に勝ってプレーオフに進み、初戦で勝った東邦大に負けて私たちの代の引退が決定しました。

ここまでが私のラグビー部の四年間です。


一年の時から引退した四年の時まで、ドタバタの学年だったと思います。
私どもの年は計15人の人間が出たり入ったりで最終的に10人が残りました。
たくさんのことを得ることができたラグビー部の経験の中でも、ここまで苦楽を共にした10人の同期が私は一番の「宝」だと思います。

あの時引きとめてくれてありがとう。10年後ぐらいにまたこの言葉を同期に伝えたいです。

本当に、大切な仲間です。四年間ありがとう。
 

同期だけでなく私をこの部活に導いてくださった先輩方、この部活を創りあげてきたOB・OGの皆様、これから新たなラグビー部を築いていく後輩のみんな、ありがとうございました。この部活と出会えて、かかわることが出来て私は本当に幸せ者です。ラグビー部を通して得た人間関係はこれからも私の人生に濃すぎる影響を与えてくれると感じています。
 

なんだかんだいって、私はラグビーが好きです。ラグビー部が大好きです。
こんな私ですが、これからもよろしくお願いします。


廣岡一陽 

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