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リレー日記

リベンジ

投稿日時:2012/11/27(火) 12:46

ヒンディー語専攻4年、笠井直人です。
最後の(?)リレー日記を書かせていただきます。

更新が大変遅れて、申し訳ありませんでした。リレー日記が回ってきたのが外語際の寸前で、準備でてんやわんやしていた私は、どうしてもリレー日記を更新することができませんでした。しかしその外語祭も、売り上げがウン十万なんてことになってるらしいので、頑張った甲斐があったというものです。
しかしてその売り上げの行方は、われらが安藤ショー作の口座に近日振り込まれるそうです。はてさて、今年のように使い込んでしまうのか、競馬で倍額以上に増やしてくれるのか。乞うご期待!!

こんな同期のいるラグビー部に僕が加入したのは、雨の日の体育館での練習でした。前日に伸びまくっていた髪の毛をバッサリと切り、人生で初の茶髪にしたせいで、あれ、あいつ誰だよ、まじかよ笠井かよ。みたいな感じで扱われたのは今でも覚えております。
ラグビーに興味を抱いたのは中学校の頃で、「アイシールド21」なる、ハチャメチャな漫画を読んで、「あ、やばい。体をぶつけたい。人に。」と天啓を受けたからです。そのあとは地元のアメフトチームを調べたりしていましたが、練習場所が実家からあまりにも遠く、用具をそろえるのにもお金がかかることが発覚し、ママンにおねだり出来なかった賢和、いや謙虚なボクちゃんはアメフトへの入門をあきらめるしかなかったのであった。
そこでほかに体ぶつけられることないかな、と考えた結果、山に登り、金華山に住むといわれる女神Mのもとに修行するに至ったのです。金華山というのは、岐阜市の中心地にそびえたつ霊峰で、その昔斉藤道三がゼウスとして君臨した山です。しかして、道三の流れを汲む女神Mの霊峰もそれはなかなかのモンブランで、、、、
冗談はさておき、アメフトへの入門をあきらめた私は、「ラグビー良くない?」という天啓を再び授かり、岐阜県では一番強かった高校に行こうかと考えました。しかしこの高校、工業高校で学力のレベルは岐阜県内でもなかなかに下のほうでした。当時、中学校で謙虚に言ってもトップクラスの学力を有していた私が、そんな高校に行くなんて、、、、、、おっかさんと、塾の先生に大反対を喰らい、私の線路は大きく捻じ曲げられてしまいました。
さてさて、ラグビーやアメフトを意識しない高校、山の神生活は淡白なものでした。そんな高校生活が終わり、外大の入学手続きの日にそれは起こりました。講義棟に入ろうとするや否や、いろんなコスプレをした人たちに囲まれ、アンケート攻めにあう始末。そこにはなぜか眼鏡をかけたラグビーボールに扮した三重弁の方がいて、その方の巧みな話術によって、アドレスから、本籍地、戸籍謄本、クレジットカードまでスキミングされ、挙句の果てに、フライング新歓に行かなければという暗示をかけられる事態に至ってしまったのです。
そんなこんなで、あとは気さくなラグビー部の皆さんのシナリオ通りにラグビー部に入ることになったのでした。あの時の三重弁の方がコスプレでなかったことに気付いたのは、ちょうどそのころでした。

一年目は第一線で活躍する、市園、水黒コンビを尻目にグランドの隅で基礎練習の毎日。休み時間は同期や先輩と一緒にキャッチボールをしまくりました。そんな努力の甲斐あってか、夏練が始まる直前、現モスクワ大総長の白木さん宅での麻雀中、「笠井、お前今度からバックスな。」と三重弁の天啓を授かり、バックスに移動、そしてヒット練習中、晃さん、リチャードさんにべた褒めされ、楽しい楽しいバックス生活を送ってきました。楽しく練習できたことが幸いして、リーグ戦の時、エクアドル代表候補清水平氏の怪我もあって、ななんと16番の背番号を頂くことができました。これが一年の時のハイライトです。
しかしそんなバックス生活もつかの間、テレビ企画、「笠井インドにイく」の撮影終了後、突然の体調不良により、約一か月練習に行けない日々が続きました。部活のほうでは「笠井やめるんじゃないか」と思っていたそうで、同期や先輩がことあるごとに家に物資を届けてくださり、本当にラグビー部は素晴らしいなあと感動しました。その中でも、市〇キャップが、家に来てくれて、延々とニコ動を観ていたことが特に思い出に残っております。ありがとう〇園。
そして大型新人NODAの加入により、バックスの人員が増大、再びフォワードへ戻り、1番というポジションを与えられ、ついに中学から望んでいた、体をぶつける日々に没入していくのでありました。スクラムを組んで、フィールドでも走ってというフォワードでの試合はかなり過酷で、2年の夏連頃は、癖でもない捻挫を頻発してなかなか練習ができなかったのを覚えています。あの時は、ちょっとでも行けそうなら試合に出たいという思いでやっていたのですが、すぐにまた捻って試合途中で交代というのばかりでした。
そんな2年のシーズンの中で、ICU戦の前半、試合に出て何本かスクラムホイールをとることができたのはいい思い出でした。フォワードに戻って、自由度の高いフォワードのフィールドプレーでなかなか成果を出すことができなかった自分の支えになっていたのが、スクラムだったからです。
3年の頃は、自分に磨きをかけるべく、筋トレ三昧の日々でした。川村さんがトレーナーとして来てくださったのがこの年で、筋トレの質が大幅に向上し、もともと筋トレが好きだった自分にとって、いい勉強をさせてもらえました。
肉体改造に成功した私でしたが、合宿の時のアバラ、シーズン中には古傷だった膝を痛め、当時の幹部の皆さんに迷惑をかけてしまったのが心残りです。本当にあの時は申し訳ありませんでした。

最後の年は、怪我の治療からスタートし思うようにプレーできないシーズンでした。一年を振り返ると、膝の怪我のことばかり思い出してしまいます。そんなシーズンでした。
最高学年にもなってプレーできないことで、腐ってしまった時もあり、最高学年の人間がそんな態度を見せてはいけないんだと思ってはいたのですが、やはり顔に出てしまっていたようで、本当に申し訳ありませんでした。
そんな中、チームをずっと引っ張って来てくれた同期のみんなには本当に感謝してもしきれない気持ちです。ありがとう

そして、怪我がちな私を支えてくれた後輩たち、とくに三年生は練習中のつらいときによく声を出してくれていて、そのおかげですごくいい雰囲気で練習することができました。本当にありがとう。自分が三年の時にこうできていたらと思うと、本当に悔しいです。

ラグビーは楽しくやってなんぼです。4年間を振り返ってみて楽しくラグビーをしていた頃が一番うまくもなったし、私生活も充実していました。辛いなあと思って練習や、試合をやっていてもなかなかうまくもなれないし、怪我のリスクが高まるだけです。
楽しくラグビーをするためにまず、ラグビーを好きになってください。全部を好きになるのはなかなか難しいと思います、雨でも練習はやらなくちゃいけないし、試合は中止になんないし、グランドは堅いし、メディバックは重いし、リーグには元トップリーガーのでかいのがいるし、スクラムは腰痛いし、隣のトールは臭いし、、、そんなラグビーですが、どんな人でも必ず武器になるものを秘めている可能性があるという点が素晴らしいと僕は感じています。誰でも活躍するための舞台があるのです。
まず、自分を見つめなおして、ここは負けない、これならリーグでも通用するスキルを持っている、というのを見つけましょう。僕の場合それはヒットであったり、スクラムであったりしたわけですが、そういう得意なプレーの練習はやっぱり楽しかったりするものだし、試合でも思い切ってできるようになると思います。実際タックルとか、ステップきったり僕はできなくて、苦手だったけれど、スクラムがうまくいった時の試合、ヒットでゲインできた試合はどれも楽しかったです。
そういったきっかけをつかんだら、それに磨きをかけるために努力しましょう。筋トレだったり、試合を観たり、いろいろ努力する方法はあると思います。好きなプレーはやっぱり伸びやすいし、努力して伸びた時の喜びは格別です。
タックルはてんでだめだけど、スクラムは強いやつも、小さくてもスピードと首が強いやつも、足の骨がおかしくても、安定したディフェンスとグレが打てるやつも、ちょっとヒットとか弱いけど、リカバリが早く、何度でもタックルに行けるやつも、バカだけど、すべてのプレーを高い次元でこなせるやつも、心弱いけど、8単止められるようになったやつも、生意気に持ち出してすぐ捕まるけど、視野が広くてたまーにすごくいい攻めするやつも、ディフェンスがいまいちでも、スタミナありあまってる25歳も、ちょっと怪我がちだけど、タックルやばすぎなやつも、ピンチ顔でいじってくるけど、脚速いやつも、貧乏だけど、ヒット強いやつも、髪型気持ち悪いけど、一途な明も、サイコパスだけど、思い切りよくタックルやヒットに行けるやつも、鎖骨折ったけど、たまにいいスピードで突っ込めるやつも、すぐ寝かされちゃうけど、スピードと負けん気は強いやつも、アイス食べて黙ってたけど、センターとして何度もラインブレイクできるやつも、キック微妙だけど、ほかの要素はさすが経験者なやつも、電車でいちゃいちゃしちゃうけど、足が速くて、ラインアウトもできるようになってきたやつも、岐阜出身のくせに野外で、、、しないやつも、爽やかじゃないくせに、爽やかを装うやつも、
みんなもっとラグビーを楽しくやるために努力しましょう。試合中にはあはあ言ってるだけじゃなくて、笑って誰かを励ましたり、時には罵ったり、そういうゲームを外大ラグビー部ができるようになればもっと上に行けるんじゃないかなと思います。
とりあえずこの日記を読んだら、トレセンに行って筋トレしてください。

僕は膝のせいで海洋にリベンジできなかったので、南半球で夏練をこなしてから、合宿を覗きに行こうと思います。ぐらぐらの膝が少しでも良くなっていたら、今年のリベンジをしてやりたいと思っているので、その時はあたたかく迎えてください。


最後になりましたが、僕たちを支えてくださった、OB・OGの皆様、現役OBとしてチームに加わってくださった、慶太さん、瀬戸さん、トレーナーを務めてくださった川村さん、木村さん、スクラムを劇的に変えてくださった多摩リバクラブの皆様、フメロ整骨院の佐藤先生、鈴木先生、ご父兄の方々、本当にありがとうございました。

お次は慶太さんです。
来年の年間スケジュールを公表してもらえますか?



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