リレー日記
5年目の話
投稿日時:2012/12/07(金) 02:40
日記の更新が遅く、多方面にご迷惑をおかけしています。申し訳ございません。
改めまして、リレー日記ファンの皆様お久しぶりです。タイ科5年の瀬戸でございます。
このリレー日記を書くのも実に一年ぶりでございまして、今ふと、書き終わった日記を間違えて全部消してしまった時のやるせなさを思い出しました。
さて、最近の私はといいますと、卒論執筆に追われる毎日を過ごしております。←でたー、忙しくて中々更新できなかったアピール
とはいうもの、先日、ゼミにて担当教官に「お前ら、舐めんとんちゃうん?」とブチギレられたことで、やっとこさエンジンがかかってきたところです。これから先は図書館でひたすらパソコンに向かいカタカタ、シコシコし続ける日々が続くと思うので、YOUTUBEのおもしろい動画とかFa〇ebookで可愛いコもしくはおっ○いが大きい子(Jessi Arava(*1)を除く)とかいたら教えてください。
さてさて、引退の日記を書くのは2回目ということで、大学ラグビー生活全体を通して感じたこととかはもう書く気はありません。ですので、とりわけこの一年で感じたことを書こうかなと思います。
一年とは言っても、僕らの最初の引退後すぐに復帰をした優秀な大学居たがりの同期(*2)とは違い、6月に入ってからの復帰でしたので、実質5ヶ月程しかできませんでした。
正直な話、部活に戻ってきた頃は、「自分の学年や前現役OB達が多数抜けて、人数もかなり少なくなったし、まぁ俺が入ってひとりでも頭数増やしてやるかー」くらいの気持ちでした。
しかし、いざ戻ってみると、何か市園にたくさん走らされるし、ガッツ(*3)とかすげぇ生意気になってるし(元からか)、ゆっくんとか声出すようになったし、不動岡(*4)の奴いるし・・・etc.とまぁ自分の知らないところで後輩たちが(良い意味で)変わってきているというのを目の当たりにしました。代変わりし、学年が上がるにつれ自ずと自覚が芽生えるのかなぁと。このことは一歩離れてみて初めて気付いたことです。
とはいえ、ちゃんと戻ったとなれば、しっかりラグビーで貢献して、あとは後輩でもイジって(*5)5年目を過ごせればと思っていました。・・・しかしそれも束の間、復帰して早々の8月初旬に膝を痛め、結局シーズン半ばまでそのケガを引きずってしまいました。割とケガしにくい、してもすぐ治るタイプだと自負していた私には、初めての経験でした。「練習の頭数が増えるだけでも部にとってプラスでしょ?」などと思っていたのに、練習すらできず、スタンドオフとしても、チームと合わせられない日々が続きました。その間に、チームはまとまっていくし、戦術は固まっていく・・・取り残されていきそうな気持ちが分かりました。だからこそやっぱり、ラグビーはプレーしてナンボで、フィールド上でぶつかり合えて初めて対等であると再認識しました。ケガをしている人は、また対等に渡り合える場所に戻るために腐らず頑張ってください。
そうこうしているうちに、膝の痛みがシーズン途中で奇跡的に引き、それからはまさかのバックスとフォワード両方の控えとして練習しました。レギュラーとはいきませんでしたが、爆弾を抱えていたのが何人かいたので、試合に出ることを前提に、練習ではそれなりに合わせることができました。
そして来る最終戦、ある選手の不調により、まさかの試合5分前にスタメンを言い渡されました。
突然のことでびっくりし、嬉しさ半分、不安半分という状態でしたが、なんとか自分を落ち着けて試合に挑みました。
試合結果は残念ながらシーズン最終戦と同様に、5点差で敗北となりました。
この結果は今でも只々悔しい。しかし負けは必然で、私個人としてもチームとしても勝つには足らない、あと5点分の差があったのだと思います。
ただこの試合、私が今までと違うなと感じたのは、ハーフタイムがとても明るい雰囲気だったことです。 前半負けているのにも関わらずこんなこと滅多にはないでしょう。みんな前の試合での後半の怒涛の追い上げを拠り所としているのか・・・いや、そんなつい先週の話ではなく、この1年、市園の下でたくさん走ったこと、この積み重ねがみんなの拠り所になっていたと思います。
市園はよく「試合中キツくなったらランパスを思い出せ」「あいつらより俺たちの方が走ってるし、キツイことやっている」と言ってましたね。その言葉を選手たちは海洋との最後2試合で実感したと思います。勝ちきることはできませんでしたが、チームで「これに関しては絶対に負けてない」と全員が胸を張って言えるものができたからこそ、あそこまで追い詰めることができたのではないでしょうか。この経験が出来ただけでも5年目復帰して良かった!自信が持てるもの・拠り所となるものを時間をかけて培うことは、ラグビーにおいてのみならず、人生においてもすごく大事なことだと思います。
後輩の皆さん、チームとしても個人としても「これでは負けない」というものを一つでもいいので手に入れてください。そう信じられるレベルまで行けばそれは必ず“武器”になります。
私個人としてはもうラグビーで彼らにリベンジすることは叶いません。ですから後輩諸君、次は是非勝って外大ラグビー部の進化をまた一歩先に進めてください。お願いします。
試合後、多くの部員が「一緒にやってくださって、ありがとうございました」と言ってくれました。
正直なところ、あまり役にたてなくてごめんなと今でも思っています。しかし、それ以上に、私は後輩たちの成長が見られて、最後の試合も出させてもらえて、経験できなかったことを経験させてくれて、4年の時には感じられなかったことを感じることができて、本当に嬉しかった。後輩のみんな、本当にありがとう。
最後に、
いつも現役のことを気にかけていただき、個人的にもお付き合い頂いているているOB様方、
怪我の時期にはリハビリを親切に指導してくださった木村トレーナー、
こばけを初めとした、既に社会人もしくは日本にすらいない奴も含めた同期(*6)、
そもそも5年目の大学生活をやらせてくれた両親、
その他すべての関係者の方々に深く感謝致します。有難うございました。
瀬戸惇
注
*1 人名。エクアドル美人で清水平のステディ。会ったこともない筆者をすでに嫌っている。筆者は同期や後輩の彼女に嫌われるのが得意である。cf.田村の元カノ
*2 ここでの同期とは滑舌×の方であり、もう一方の同期(遺伝子組み換え)について本稿では言及しない。
*3 新主将でラグビー未経験者の星。来季のチームの躍進は彼の手腕にかかってるとみて大過ない。彼の昔の恥ずかしいメールを見たい方は筆者まで。
*4 埼玉県立不動岡高等学校。キ○ガイ養成学校として名高い。
*5 前四年が抜けてからというもの、複数の部員が羽を伸ばし始めたらしい。このことより筆者はラグビーとともに、後輩イジリに尽力するとを誓った。この筆者 の取り組みにより、これまで筆者に多くの芸を仕込まれてきた吉永亮(3年)は追い込まれ、とっさに出身高校のバレー部応援ネタを披露した。このネタで彼 が、「HELLorHEAVEN」、「お祭り」、「たー坊」に次ぐ一大ムーブメントを巻き起こしたことは記憶に新しい。なお、合宿中に某部員を部屋から追い出したことについて筆者は、「反省はしているが後悔はしていない」としている。
*6 HTNの卒業をもって、同期全員が無事DTフィールドを突破した。
改めまして、リレー日記ファンの皆様お久しぶりです。タイ科5年の瀬戸でございます。
このリレー日記を書くのも実に一年ぶりでございまして、今ふと、書き終わった日記を間違えて全部消してしまった時のやるせなさを思い出しました。
さて、最近の私はといいますと、卒論執筆に追われる毎日を過ごしております。←でたー、忙しくて中々更新できなかったアピール
とはいうもの、先日、ゼミにて担当教官に「お前ら、舐めんとんちゃうん?」とブチギレられたことで、やっとこさエンジンがかかってきたところです。これから先は図書館でひたすらパソコンに向かいカタカタ、シコシコし続ける日々が続くと思うので、YOUTUBEのおもしろい動画とかFa〇ebookで可愛いコもしくはおっ○いが大きい子(Jessi Arava(*1)を除く)とかいたら教えてください。
さてさて、引退の日記を書くのは2回目ということで、大学ラグビー生活全体を通して感じたこととかはもう書く気はありません。ですので、とりわけこの一年で感じたことを書こうかなと思います。
一年とは言っても、僕らの最初の引退後すぐに復帰をした優秀な大学居たがりの同期(*2)とは違い、6月に入ってからの復帰でしたので、実質5ヶ月程しかできませんでした。
正直な話、部活に戻ってきた頃は、「自分の学年や前現役OB達が多数抜けて、人数もかなり少なくなったし、まぁ俺が入ってひとりでも頭数増やしてやるかー」くらいの気持ちでした。
しかし、いざ戻ってみると、何か市園にたくさん走らされるし、ガッツ(*3)とかすげぇ生意気になってるし(元からか)、ゆっくんとか声出すようになったし、不動岡(*4)の奴いるし・・・etc.とまぁ自分の知らないところで後輩たちが(良い意味で)変わってきているというのを目の当たりにしました。代変わりし、学年が上がるにつれ自ずと自覚が芽生えるのかなぁと。このことは一歩離れてみて初めて気付いたことです。
とはいえ、ちゃんと戻ったとなれば、しっかりラグビーで貢献して、あとは後輩でもイジって(*5)5年目を過ごせればと思っていました。・・・しかしそれも束の間、復帰して早々の8月初旬に膝を痛め、結局シーズン半ばまでそのケガを引きずってしまいました。割とケガしにくい、してもすぐ治るタイプだと自負していた私には、初めての経験でした。「練習の頭数が増えるだけでも部にとってプラスでしょ?」などと思っていたのに、練習すらできず、スタンドオフとしても、チームと合わせられない日々が続きました。その間に、チームはまとまっていくし、戦術は固まっていく・・・取り残されていきそうな気持ちが分かりました。だからこそやっぱり、ラグビーはプレーしてナンボで、フィールド上でぶつかり合えて初めて対等であると再認識しました。ケガをしている人は、また対等に渡り合える場所に戻るために腐らず頑張ってください。
そうこうしているうちに、膝の痛みがシーズン途中で奇跡的に引き、それからはまさかのバックスとフォワード両方の控えとして練習しました。レギュラーとはいきませんでしたが、爆弾を抱えていたのが何人かいたので、試合に出ることを前提に、練習ではそれなりに合わせることができました。
そして来る最終戦、ある選手の不調により、まさかの試合5分前にスタメンを言い渡されました。
突然のことでびっくりし、嬉しさ半分、不安半分という状態でしたが、なんとか自分を落ち着けて試合に挑みました。
試合結果は残念ながらシーズン最終戦と同様に、5点差で敗北となりました。
この結果は今でも只々悔しい。しかし負けは必然で、私個人としてもチームとしても勝つには足らない、あと5点分の差があったのだと思います。
ただこの試合、私が今までと違うなと感じたのは、ハーフタイムがとても明るい雰囲気だったことです。 前半負けているのにも関わらずこんなこと滅多にはないでしょう。みんな前の試合での後半の怒涛の追い上げを拠り所としているのか・・・いや、そんなつい先週の話ではなく、この1年、市園の下でたくさん走ったこと、この積み重ねがみんなの拠り所になっていたと思います。
市園はよく「試合中キツくなったらランパスを思い出せ」「あいつらより俺たちの方が走ってるし、キツイことやっている」と言ってましたね。その言葉を選手たちは海洋との最後2試合で実感したと思います。勝ちきることはできませんでしたが、チームで「これに関しては絶対に負けてない」と全員が胸を張って言えるものができたからこそ、あそこまで追い詰めることができたのではないでしょうか。この経験が出来ただけでも5年目復帰して良かった!自信が持てるもの・拠り所となるものを時間をかけて培うことは、ラグビーにおいてのみならず、人生においてもすごく大事なことだと思います。
後輩の皆さん、チームとしても個人としても「これでは負けない」というものを一つでもいいので手に入れてください。そう信じられるレベルまで行けばそれは必ず“武器”になります。
私個人としてはもうラグビーで彼らにリベンジすることは叶いません。ですから後輩諸君、次は是非勝って外大ラグビー部の進化をまた一歩先に進めてください。お願いします。
試合後、多くの部員が「一緒にやってくださって、ありがとうございました」と言ってくれました。
正直なところ、あまり役にたてなくてごめんなと今でも思っています。しかし、それ以上に、私は後輩たちの成長が見られて、最後の試合も出させてもらえて、経験できなかったことを経験させてくれて、4年の時には感じられなかったことを感じることができて、本当に嬉しかった。後輩のみんな、本当にありがとう。
最後に、
いつも現役のことを気にかけていただき、個人的にもお付き合い頂いているているOB様方、
怪我の時期にはリハビリを親切に指導してくださった木村トレーナー、
こばけを初めとした、既に社会人もしくは日本にすらいない奴も含めた同期(*6)、
そもそも5年目の大学生活をやらせてくれた両親、
その他すべての関係者の方々に深く感謝致します。有難うございました。
瀬戸惇
注
*1 人名。エクアドル美人で清水平のステディ。会ったこともない筆者をすでに嫌っている。筆者は同期や後輩の彼女に嫌われるのが得意である。cf.田村の元カノ
*2 ここでの同期とは滑舌×の方であり、もう一方の同期(遺伝子組み換え)について本稿では言及しない。
*3 新主将でラグビー未経験者の星。来季のチームの躍進は彼の手腕にかかってるとみて大過ない。彼の昔の恥ずかしいメールを見たい方は筆者まで。
*4 埼玉県立不動岡高等学校。キ○ガイ養成学校として名高い。
*5 前四年が抜けてからというもの、複数の部員が羽を伸ばし始めたらしい。このことより筆者はラグビーとともに、後輩イジリに尽力するとを誓った。この筆者 の取り組みにより、これまで筆者に多くの芸を仕込まれてきた吉永亮(3年)は追い込まれ、とっさに出身高校のバレー部応援ネタを披露した。このネタで彼 が、「HELLorHEAVEN」、「お祭り」、「たー坊」に次ぐ一大ムーブメントを巻き起こしたことは記憶に新しい。なお、合宿中に某部員を部屋から追い出したことについて筆者は、「反省はしているが後悔はしていない」としている。
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