リレー日記
増量は計画的に
投稿日時:2012/12/13(木) 18:16
引退組の更新が遅くて申し訳ありません。早く新チームの挨拶をしてもらいたいからみんな早く書こう。中国語科4年の穂積優です。引退から早1か月。毎日図書館にこもって卒論をシコシコ進める日々を送っております。
引退の挨拶ということですが、ラグビー部の思い出をあげるときりがありません。
僕が最初にラグビーというスポーツに出会ったのは今でも忘れない、高1の秋です。僕は高校での修学旅行を翌日に控え、興奮のあまりまったく眠れませんでした。夜中の三時になんとなくテレビを点けると、なんだかよくわからない球技を放送していました。人が人を持ち上げてボールをキャッチしたり、人が何人か固まって相手とぶつかってるとこにボールを転がしたりしていて、「なんてつまらないスポーツなんだ!!!!」と思ってテレビを消し、ぐっすり眠れたという記憶があります。どうやら高知県の高校総体の県大会決勝だったようです。こんなスポーツ一生やらないだろうなと思っていました。
しかしその三年後、ひょんなことからラグビー部に入部しました。それはラグビーに惹かれたのではなく、勧誘してくださった先輩方と仲間になって楽しい学生生活が送りたい、という動機が強かったです。ボールを前に放ってはいけないという超基本的なルールすら知らなかったバスケ部出身の僕は、一年生の時はラグビーという競技の魅力なんか感じる前にまずラグビーのルールやセオリーを覚えるのに精いっぱいでした。正直部活を楽しいとはまったく思えなかったし、辞めようと思ったことも何度もありました。「まあ来年の勧誘の時には俺はおらんかもしれんけどな!」という迷言が産まれたのも一年生のシーズン中でした。(ロン!ドラ3のみ!もこの時期。)
心境が変わったのは1年のシーズン終了くらいです。最終戦が終わった後に、グラウンドで、尊さんと皇子さんに、「来年はスクラム組めるやつが少ないからお前にかかってるぞ」と言われました。恐らくお二人は憶えてないと思いますが、僕は今でも鮮明に覚えています。それから僕は立派なプロップになるために、筋トレと飯トレをほぼ毎日のようにやり、二年生になる頃には、体重が入学当初から比べて15キロ近く増えていました。そして練習でも先輩に当たり負けることが少なくなり、この時期は練習が本当に楽しかったです。試合にもスタメンで使ってもらえたり、充実の部活生活でした。しかし、急な体重増加やめちゃくちゃなフォームでの筋トレが祟ったのか、国公立戦の一回戦、試合開始10分弱で腰を痛めて退場してしまいました。結局この怪我のせいで一年を棒に振り、腰の痛みが引いた後も復帰してすぐに左肩を脱臼して救急車で運ばれてしまいました。そして左肩の脱臼が完治して、練習に復帰した初日に右肩を亜脱臼しました。この亜脱臼は軽いものではなかったのですが、ずっとラグビーから離れていて禁断症状(ラグビーは麻薬や)が出ていた僕はろくにリハビリもせずに次の日からも練習をしていました。結果的にこれが僕の選手生命を縮めることになってしまいました。右肩が脱臼癖を抱えてしまい、日常生活でも簡単に肩が外れてしまうようになりました。そのたびに激痛が走るため、タックルなんかとてもじゃないけどできない、と精神的にラグビーをやりたくなくなりました。三年の夏くらいの話です。しかし、その時点ではもう「退部」という選択肢は頭の中にまったくありませんでした。僕にも理由はわかりませんが、本能から「この部活にいたい」と思っていました。最上級生になり、今までで一番きつい練習メニューを自分たちに課したり、春や合宿の試合でボロボロになりながらも試合に出続ける同期を見て、絶対に復帰したいという気持ちがどんどん強くなっていきました。ほとんど練習メニューにも参加できず、試合に出ても人並みなプレーができるかどうかわからない僕をベンチに置いてくれたみんなにはとても感謝の気持ちでいっぱいです。
長々と自分の思い出を語ってしまいましたが、僕は二年生の春に試合にバリバリ出てた頃というのが一番しんどかったけど一番楽しくて充実していました。僕がラインブレークしてビッグゲインした後のスクラムの時にFWの先輩方から褒められてすごく嬉しかったことや、試合にぎりぎりで負けて泣いている時に市園に「お前のせいで負けたのわかってる?」と追い打ちをかけられたことも絶対にラグビーをやっていないと得られないことです。この経験がなければ辞めていたかもしれません。怪我なり実力不足なりで試合に出られていない後輩たちには絶対にこの感覚を味わってほしい。そのために何をするか。僕の場合は増量とラインアウトのスローインでした。田村ということが被るのはしゃくですが、セールスポイントを作ってください。何でもいいです。部内で何か1つ一番のものを持つと試合に出れます。アフターしましょう。
そして試合に出れない中でチームに貢献するのも絶対に必要です。例えば新チームでは審判をできる人がいない、とガッツが困ってました。僕は今年タッチフットや縦コンの審判をする機会が多く、特にタッチフットではチームの課題を考えてある時は厳しく笛を吹いたり、たまに新ルールを提案したりしました。チームのことをまじめに考えていたらきっとみんなこれくらいは最低でもできるはずです。もちろんミスは多かったと思いますが、僕でもある程度吹けるようになったので、みんなもできるはずです。がんばれ。
OB・OGの皆様、ラグビー部のことを常日頃から支えていただき、本当にありがとうございます。僕のことを気にかけて頂いた先輩方には、試合に出た、という報告ができず、期待を裏切ってしまったという気持ちばかりが募ってしまいます。恐縮ながらこれからは皆さんと共に現役部員を支えていけたら、と思っております。よろしくお願いします。
現役OBのお二人
慶太さん、瀬戸さん、今シーズンは一年間チームの雰囲気を盛り上げていただきありがとうございました。特に慶太さんは昨シーズンが終わるとすぐに復帰し、勧誘なども現役とまったく同じように頑張っていただきました。感謝しています。就活頑張ってください。
後輩たち
上に書いてあることが全てです。今シーズン試合に出ていた後輩たちは、僕が何かアドバイスするのもおこがましいくらいみんな驚くほど成長したと思う。でもまだまだ伸びしろはあると思うし、史上最高の成績を収めた今年と去年の結果を超えてください。未経験者のキャプテンの代でそれを達成できたらめっちゃかっこいい。君らならできる。
同期
ありがとう。大好きです。みんなと同じ代であることが僕の人生最大の誇りです。
パソコンで書いているので筆を置く、という表現は間違っていると思います。なのでここら辺で僕はキーボードを放置したいと思います。ご精読ありがとうございました。
穂積 優
引退の挨拶ということですが、ラグビー部の思い出をあげるときりがありません。
僕が最初にラグビーというスポーツに出会ったのは今でも忘れない、高1の秋です。僕は高校での修学旅行を翌日に控え、興奮のあまりまったく眠れませんでした。夜中の三時になんとなくテレビを点けると、なんだかよくわからない球技を放送していました。人が人を持ち上げてボールをキャッチしたり、人が何人か固まって相手とぶつかってるとこにボールを転がしたりしていて、「なんてつまらないスポーツなんだ!!!!」と思ってテレビを消し、ぐっすり眠れたという記憶があります。どうやら高知県の高校総体の県大会決勝だったようです。こんなスポーツ一生やらないだろうなと思っていました。
しかしその三年後、ひょんなことからラグビー部に入部しました。それはラグビーに惹かれたのではなく、勧誘してくださった先輩方と仲間になって楽しい学生生活が送りたい、という動機が強かったです。ボールを前に放ってはいけないという超基本的なルールすら知らなかったバスケ部出身の僕は、一年生の時はラグビーという競技の魅力なんか感じる前にまずラグビーのルールやセオリーを覚えるのに精いっぱいでした。正直部活を楽しいとはまったく思えなかったし、辞めようと思ったことも何度もありました。「まあ来年の勧誘の時には俺はおらんかもしれんけどな!」という迷言が産まれたのも一年生のシーズン中でした。(ロン!ドラ3のみ!もこの時期。)
心境が変わったのは1年のシーズン終了くらいです。最終戦が終わった後に、グラウンドで、尊さんと皇子さんに、「来年はスクラム組めるやつが少ないからお前にかかってるぞ」と言われました。恐らくお二人は憶えてないと思いますが、僕は今でも鮮明に覚えています。それから僕は立派なプロップになるために、筋トレと飯トレをほぼ毎日のようにやり、二年生になる頃には、体重が入学当初から比べて15キロ近く増えていました。そして練習でも先輩に当たり負けることが少なくなり、この時期は練習が本当に楽しかったです。試合にもスタメンで使ってもらえたり、充実の部活生活でした。しかし、急な体重増加やめちゃくちゃなフォームでの筋トレが祟ったのか、国公立戦の一回戦、試合開始10分弱で腰を痛めて退場してしまいました。結局この怪我のせいで一年を棒に振り、腰の痛みが引いた後も復帰してすぐに左肩を脱臼して救急車で運ばれてしまいました。そして左肩の脱臼が完治して、練習に復帰した初日に右肩を亜脱臼しました。この亜脱臼は軽いものではなかったのですが、ずっとラグビーから離れていて禁断症状(ラグビーは麻薬や)が出ていた僕はろくにリハビリもせずに次の日からも練習をしていました。結果的にこれが僕の選手生命を縮めることになってしまいました。右肩が脱臼癖を抱えてしまい、日常生活でも簡単に肩が外れてしまうようになりました。そのたびに激痛が走るため、タックルなんかとてもじゃないけどできない、と精神的にラグビーをやりたくなくなりました。三年の夏くらいの話です。しかし、その時点ではもう「退部」という選択肢は頭の中にまったくありませんでした。僕にも理由はわかりませんが、本能から「この部活にいたい」と思っていました。最上級生になり、今までで一番きつい練習メニューを自分たちに課したり、春や合宿の試合でボロボロになりながらも試合に出続ける同期を見て、絶対に復帰したいという気持ちがどんどん強くなっていきました。ほとんど練習メニューにも参加できず、試合に出ても人並みなプレーができるかどうかわからない僕をベンチに置いてくれたみんなにはとても感謝の気持ちでいっぱいです。
長々と自分の思い出を語ってしまいましたが、僕は二年生の春に試合にバリバリ出てた頃というのが一番しんどかったけど一番楽しくて充実していました。僕がラインブレークしてビッグゲインした後のスクラムの時にFWの先輩方から褒められてすごく嬉しかったことや、試合にぎりぎりで負けて泣いている時に市園に「お前のせいで負けたのわかってる?」と追い打ちをかけられたことも絶対にラグビーをやっていないと得られないことです。この経験がなければ辞めていたかもしれません。怪我なり実力不足なりで試合に出られていない後輩たちには絶対にこの感覚を味わってほしい。そのために何をするか。僕の場合は増量とラインアウトのスローインでした。田村ということが被るのはしゃくですが、セールスポイントを作ってください。何でもいいです。部内で何か1つ一番のものを持つと試合に出れます。アフターしましょう。
そして試合に出れない中でチームに貢献するのも絶対に必要です。例えば新チームでは審判をできる人がいない、とガッツが困ってました。僕は今年タッチフットや縦コンの審判をする機会が多く、特にタッチフットではチームの課題を考えてある時は厳しく笛を吹いたり、たまに新ルールを提案したりしました。チームのことをまじめに考えていたらきっとみんなこれくらいは最低でもできるはずです。もちろんミスは多かったと思いますが、僕でもある程度吹けるようになったので、みんなもできるはずです。がんばれ。
OB・OGの皆様、ラグビー部のことを常日頃から支えていただき、本当にありがとうございます。僕のことを気にかけて頂いた先輩方には、試合に出た、という報告ができず、期待を裏切ってしまったという気持ちばかりが募ってしまいます。恐縮ながらこれからは皆さんと共に現役部員を支えていけたら、と思っております。よろしくお願いします。
現役OBのお二人
慶太さん、瀬戸さん、今シーズンは一年間チームの雰囲気を盛り上げていただきありがとうございました。特に慶太さんは昨シーズンが終わるとすぐに復帰し、勧誘なども現役とまったく同じように頑張っていただきました。感謝しています。就活頑張ってください。
後輩たち
上に書いてあることが全てです。今シーズン試合に出ていた後輩たちは、僕が何かアドバイスするのもおこがましいくらいみんな驚くほど成長したと思う。でもまだまだ伸びしろはあると思うし、史上最高の成績を収めた今年と去年の結果を超えてください。未経験者のキャプテンの代でそれを達成できたらめっちゃかっこいい。君らならできる。
同期
ありがとう。大好きです。みんなと同じ代であることが僕の人生最大の誇りです。
パソコンで書いているので筆を置く、という表現は間違っていると思います。なのでここら辺で僕はキーボードを放置したいと思います。ご精読ありがとうございました。
穂積 優
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