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リレー日記

ムースチョコレートでした

投稿日時:2013/02/16(土) 20:15

 皆さんこんにちは、山口稜がお送りします。2年前はお兄さんがいらっしゃったので「引き続き山口りょうがお送りします」というナウなヤングにバカウケ間違いなしのフレーズをつかえたのですが、気づけば僕が入学した年のお兄さんの学年を越していて残念な限りです。

 昨日の遥ちゃんが触れていた松岡修造氏の「今日からお前は富士山だ」ですが、僕はその言葉は聞くたびに「今日からお前はフーチさんだ!!」と聞こえてしまいます。反射で「嫌だ」と言ってしまいそうです。「おい」という声が聞こえてきそうです。
きっと明日あたりわざわざそれを言うためだけに電話とかいただけるのでしょう。幸せな後輩です。


 新入生ももしかしたら見てくれているかもしれないと期待して遥ちゃんに引き続き受験時の話でもします。
 
 僕は最初大阪大外語に行こうとしていました。親戚も近くなるし、そもそも名古屋国歌にも「汚れとる、とろくさい病気がはやっとる」とかあるし、ごみごみした大都会は嫌だったので大阪のはずれにあるここに行こうと。しかし、センターが終わって2次試験の締切前日に学校をさぼって東京に行って東京外大を見てきたんです。すると全然汚れてないしとろくさい病気ははやってないし、大都会でもない、むしろ通ってた高校の方がオシャレで都会チックだったので、その日のうちに願書出してきました。なので受験生の中に「ずっと東京外大に行きたかった」なんて人は、もう4回生の僕が志望校決定した時より早くから外大のことを思ってたかもしれませんね。
 
 語科に関しては、ずっと中国語志望でした。テレビとかでなんか見かけ日本人っぽい人が全く意味不明な言葉話してるってなんか面白かったっていう理由です。遥ちゃんと違って中華香辛料が好きで好きでずっとふれあっていたいからとか、中華料理を食べたいとか、中国人女性と恋におちたいとか、そういうのはありませんでした。しかし結果として僕は今キッチンで八角と豆板醤と鶏がらスープの素と常に触れ合い続け、香港人女性とお付き合いし、昨日もラグビー部の同期と駅近くの中華料理屋でたらふく食べてきたところです。最初は音楽サークル行こうと思っていたのになぜか未経験のラグビー部にも入部し、当初思い描いていた大学生活とはかなり違う生活を送っています。それでも自分はこの道を選んでよかったと思っています。最初思い描いていた道よりもより良い成長のできる道を選べたと思っています。
 ラグビー部に限ったことじゃないですけど、やってみないと分からないことって世の中のほとんどなんですね。大学のシラバスに書かれてるみたいに初めからこれを選択して学ぶと何が身に付くなんて言う予想はほとんど裏切られるんだと大学に来てよく知りました。来年度入学の新入生も何か自分なりに新しい発見ができることを祈るばかりです。


 さて遥ちゃんのふりでバレンタインについてですが、14日当日僕は9時に夜勤が終わり家に帰りシャワーを浴びて着替えて38分の電車で京都に向かうというハードスケジュールでした。京都の大叔父が亡くなったのです。こんな切り出しですがあまり暗い話にしないのでぜひ最後まで。ちゃんとバレンタインの話です。
 告別式の喪主挨拶で大叔母がスピーチをした時に初めて大叔父の過去について聞きました。12歳の時に大叔母と出会い、そのまま24歳で結婚、国家公務員として働いて、昇進の勧めが出るも大叔母が仕事をやめなければならなくなると断り、常に家庭を大事にしたそうです。去年5月、夫婦でピースボートに乗って世界一周をしようかと相談していた矢先、65にして末期の膵臓がんと診断を受け、せいぜい3か月だと言われました。しかし家族のために苦しくても治すために何でもすると決断し、本当に最期まで足のリハビリなどしつづけ、声が出なくなってもメモを書いて家族を励ましたそうです。
 挨拶が終わり、棺に花を添え、蓋をする前に胸のところに綺麗に包装された箱が置かれているのが見えました。大叔母と叔従母(大叔母の娘)が作ったバレンタインケーキでした。それを見たときに、大叔父は短いがらも間違いなく幸せな人生を歩んだのだと確信しました。世の中にはきっとこんなに特別で、素敵なバレンタインデーがあってもいいでしょう。


このぐらいにしておきます。次は室です。
「大叔父」って読めます?

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