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リレー日記 2025/2

黄金体験鎮魂歌

 written by 斎藤 雅貴 投稿日時:2025/02/28(金) 23:03





みなさんこんにちは
٩( )و


6年の斎藤雅貴です。



ラグビー部を引退して2か月が過ぎました。この日記を書き始めて2行目で手が止まりました。「自己紹介するときに自分は何者というべきなのか」という非常に実存的な問いに不意に襲われて、ぐるぐるぐるぐるぐるぐるしてしまったのです。





自己紹介するときはいつだって「外大に通ってます」の次は「ラグビー部です」っていうくらい僕にとってメインアイデンティティだったので、引退してしまってこれからはなんて自己紹介すればいいのよって思ってしまったわけです。



はい、いいわけおわり。



ラグビー部は間違いなく僕を成長させるきょうせいギプスでした。おかげで努力値2倍。立派なジェントルマン、ナイスラガーマンになりました。いろいろなことをこの部でけいけんしました。思い出しただけでも笑みがこぼれるくらい素晴らしいもんです。うふふふ。



さて、せっかくの機会だし。この部のスーパースターであった僕に憧れている後輩のみんなにどうやったら僕に近づけるかを特別に教えてあげちゃう。



紳士たれ



アドバイスはこの一言に尽きます。ラグビーは紳士のスポーツといわれるらしいです。だったら立派なラガーマンになるための必要条件は「紳士たれ」でしょ。紳士とは高貴な漢のことです。漢であることと高貴であることを共存させることができれば今日から君も立派な紳士だ!





漢であるとはどのようなことか。具体的には精神的にも肉体的にも強くあれということ。漢は弱さを見せません。だって強くなくちゃ漢じゃないんだから。弱さとは負けることです。そして1番負けちゃいけない相手は自分です。けがを言い訳に筋トレを軽くする。自分は太れない体質だといって体重の増えないのを許されようとする。こういう考えが頭をよぎるたび僕は心の中で中指をたててこう叫んでいました。ざけんじゃねぇ、ほかのみんながやっているのにお前はそんな言い訳で手を抜いてみんなを裏切るのか。僕の漢の部分が僕に発破をかけてきます。そうしているうちに僕の女の部分はいなくなって、純度100%の漢となっていました。弱さを肯定する太宰治みたいな人間になっちゃだめよ、いつだって笑顔で涼しい顔して辛いことを乗り越えようね、それこそが漢なんだから。





高貴であることはどのようなことか。ノブレスオブリージュを実践することです。高貴なるものの義務なんだから順番が逆じゃい!と思ったそこのあなた!!Manners maketh manという言葉を知っていますか?ある紳士映画に出てくる言葉です。とても含みを持った3語ですが、その意味の1つは作法によって人格は形成されるということだと僕は解釈しています。紳士っぽく振舞ってりゃいずれ紳士になっていくよってことで、ノブレスオブリージュを実践していいこうよってのが僕の方針です。ノブレスオブリージュってのは、自己の利益追求よりも社会(チーム)を構成する責任ある主体として行動することです。チームの問題は俺の問題、誰かが困っていたら手を差し伸べる。引き受けるいわれのない責任を引き受け受けることは自己を大きく育てることにつながるから気づいたらデカい人間になってるよ。



最後に非常にラディカルなことを言いますが、これは僕にとっての真理なので僕になりたい読者のみんなの真理です。肝に銘じてください。



人生は一様に生きるに値するものではありません。自己を大きく育てることによって生きるに値する人生になっていきます。自分より大きな責任を引き受けないと自己は大きくならないし、昨日より重いダンベルを持ち上げないと筋肉は大きくなりません。



挑発的な言い方にはなるけれども、今、君の人生は生きるに値する価値があるのか?



はい、アドバイスおわり。



僕にとってラグビー部はミツバチにとっての巣、ビーバーにとってのダムみたいなもんで、要するに延長された表現型です。皮膚の外側にありながらもはや自己の一部といえるようなものってこと。昨シーズンは色んな人に助けられましたみたいなことを言われたけど、君たちはすでに僕の一部で君たちの問題を解決するのは僕の膝小僧が出血しているから絆創膏貼っておくことと変わりない、自分の生をより良くする行為だから礼には及ばないよと言えればかっこよかったのになあ。いや、キモイか。



なんだかおさまりがつかなくなってきましたので最後に。ラグビー部での思い出は僕にとって全部が24カラット。ゴールドエクスペリエンスなのです。そしてそんなゴールドエクスペリエンスで僕に生命力を与え続けてくれたのはラグビー部に関わってくれたみんなです。僕が生まれる遥か昔に外大を卒業した先輩から6個も年下の後輩までラグビー部を支えてくれてアルティメットありがとう。



ここまでのおあいてはまさきでした。

であいもあればわかれもあるえがおでまたあおっ!

 

Blue jeans

 written by 佐藤 智夏 投稿日時:2025/02/27(木) 23:57



リレー日記

안녕하세요! 마지막의 인사를 하러 왔습니다.
私は今留学先の韓国にいます。あの大阪戦から2か月経って、やっと引退リレー日記をソウルで書き始めました。遅れてごめんなさい。引退した当時はあれこれ書きたいことが思いついたのですが、2か月も経って今更何を書けば良いのか分からなかったので、私の外大ラグビー部の思い出をただただ書き綴ったリレー日記になりました。ですのでまとまりのないだらだらスーパーロング日記となっております。暇な人はぜひ読んでみてください。


































私と外大ラグビー部の出会いは2022年3月にさかのぼります。(一番初めのリレー日記に書いたことと内容が若干重複しますがお許しください。)ずっと夢だった外大に合格して、うきうきるんるんな私に、ラガーマンである父がラグビー部のマネージャーを勧めてきたことが始まりでした。「ぜってぇ入んねぇよ!」と心に誓っていましたが、今思えば内心どこか興味があったのでしょう。当時はコロナ禍で外新歓もオンライン(zoom)でした。最初はクアトロとかソウルズとかいかにもコリ科っぽいサークルを志望してたのですが、なぜかクアトロのzoom新歓に入れず…。結局ラグビー部とジャズ研のzoom新歓だけ見ました。そこに出ていて記憶に残っているのが、かんたさん、たろうさん、りかこさんでした。私が途中から参加したからなのか、画面マイク共にオフにしていたからなのか、かんたさんとたろうさんは「佐藤さん、聞こえてますか?」と確認してくれて、私が「聞こえてます!」とチャットで送っても5分に一回ぐらい「佐藤さん聞こえてますか?」と優しく(しつこく)気にかけてくれた記憶があります。あとは「タッチフットやります!初心者も大歓迎です!終わったら飯行きましょう」「新歓試合あります!迫力のある試合を見ることができます!終わったら飯行きましょう!」「練習見学もいつでも大歓迎です!…終わったら飯行きましょう!」と話すことが思いつかなかったのか飯行こうを連発していたかんたさん、たろうさんを見て「どんだけ飯食わすんだろうこの人たち」と若干引いた記憶もあります。



















そんなこんなで4月を迎えた私に突如悲劇が襲い掛かります。なんと弟がコロナにかかり、自宅待機を命じられ入学式に参加できず大学生生活に遅れをとってしまったのです。家族と離れた寂しさと、友達のいない寂しさでうきうきるんるんとはかけ離れた大学生活のスタートを切ったわけですが、そんなときzoom新歓で見たラグビー部を思い出し、勇気を振り絞って新歓試合に一人で凸ってみたのです。



















そこで出会ったのがかなでした。初めましてで気まずいはずなのに、試合が終わるころには打ち解けて仲良くなれた記憶があります。かなは私にとって大学で初めてできた友達でした。初めてできた友達がこうやって今でも仲良く、なんでも話せる仲になれたのはすごく幸運だなと思います。他にもコリ科であることを伝えると試合を終えたばかりのたぬーさんがいろいろ話をしてくれて、私の思ってたコリ科の先輩のイメージと違うな…と若干の違和感を抱いたことは置いときますが、その時からコリ科の先輩たぬーさんにはお世話になりました。試合終わりにかな、りょうたろうさん、くろまさん、谷さんと紅の同じ卓でご飯を食べたことも忘れられない思い出です。谷さんはスポンジボブの中で一番お気に入りのエピソードを紹介してくれました。上京してから久々にいろいろ話して笑って、あったかい部の雰囲気に惹かれて、ラグビー部入部を早々に決意した日でした。

















それからというもの毎日が楽しくて楽しくて仕方ない1年間でした。中高体育会系スパルタ女子バレー部だった私は、先輩と仲良くしゃべれるのが夢のようで東京観光会も、菅平合宿も、シーズンも全部が充実した2022年で、その分当時の4年生と復帰してくださったOBさんたちが引退してしまうことが本当に辛くて悲しかったです。今思えばあのときの楽しかった記憶があるから、3年間続けてこれたのかなと思います。






















2023年は前年の大人数でわいわいしたラグビー部とは程遠いチーム体制でスタートしました。プレーヤー4人スタッフ2人で練習したこともあります。ですがキャプテンのさどぅーさんを筆頭にかわいい後輩たちにも恵まれまた違った楽しさがありました。洗濯ソングを熱唱しながらユニフォームを干し、となり部屋から聞こえてくるLONGINESSと歌合戦した菅平の思い出が突如浮かび上がりました。なぜでしょう。大阪戦も楽しかったです。新幹線乗ったことないのに新幹線の団体予約をするはめになり若干キレ、予約したバス会社のおっちゃんがこてこての関西弁すぎて日本語なのに聞き取れず、聞き返してしまうカルチャーショック(?) にも見舞われましたが、すべていい思い出です。同期旅行で京都散策中、一人ホテルであたしんちを見ながら3度寝をかました小林さん、それもまたいい思い出です。
























2024年は、2022年、2023年と比べ辛いことが多かったのが正直なところです。もちろん楽しい思い出もたくさんあります。6人もの1年生がスタッフとして入部してくれて仕事に幅が生まれ、プレーヤーを支えるというスタッフの大きな役割を全うできた一年だったと思います。しかし同時に副務というポジションの難しさも痛感しました。仕事に幅が生まれるということは今までの体制や運営の仕方を変えていく必要があります。スタッフの仕事をストイックにこなすということも大事ですが、後輩スタッフのみんなが部活を楽しめる運営をすることが私にとって副務として最大の仕事であると感じていました。それは前述したとおり、私が1年生のとき先輩方にたくさん楽しませてもらった分を私なりに、部に還元する方法だと思っていたからです。後輩スタッフのみんながこの一年間を通してどう思ったかはわからないし、単なる自己満と言ったらそれまでですが、少しでもラグビー部に入ってよかったと思える瞬間があったのなら、私の副務としての責任を全うできたのではないかと思います。



















4部昇格をめざしてがむしゃらに走ってきたシーズンでしたが、プレーヤーのみんなからはたくさんの感動をもらいました。神大戦ほど熱くなれた試合は今までもそしてこれからもないでしょう。勝利してこそ得られる喜び、楽しさがあります。ですが負けてしまった入れ替え戦は私にとってとてもいい思い出として残っています。どんどん点差が広がり、スタッフの自分にとってはあの80分がどれほど辛いものだったのか、完全に理解することは難しいでしょう。思うようなプレーができなくて悔しいはずなのに、試合が終わるその瞬間まで「あきらめるな」「こんな終わり方でいいのか」「次はこうしよう、ああしよう」と互いに鼓舞しあう姿を見て、とても感動しました。かなとウォーターをしながらあの日見たみんなの姿、外から必死に声をかけるプレイヤー、それぞれの仕事を一生懸命にこなすスタッフ、そのすべてが3年間外大ラグビー部として頑張ってきてよかったと思えた瞬間でした。
























あんなに毎日のように部活に行っていたのに、あの3年間が遠い昔のように感じられます。ラグビー部のマネージャーをしていると言うといつも周りから「大変だね、すごいね」と言われます。夏は炎天下の中真っ黒になりながら、冬は寒さに凍えカイロを握りしめながら毎朝タイムコールをして、水を配って、おにぎりを握って。辛いはずなのに何の疑問も持たず続けてこれたのは、ラグビー部の温かい雰囲気と私を部活に熱中させてくれたラグビー部の先輩、後輩、そして同期のおかげです。


























OB・OGの皆様へ
先輩方の存在は私が入部を決めたきっかけと言っても過言ではないです。たくさん話しかけてくれて、ラグビー部の楽しさを教えてくれて、本当にお世話になりました。引退して就職した後もいろいろ相談に乗ってくださったり、話をきいてくださったりして救われたことが何度もあります。特にたぬーさん、りょうたろうさん、くろまさん、ちはやさんは、私が入部したときから引退するまでプレーしてくださり最後までかっこいい姿を見せてもらいました。外大ラグビー部が不自由なくこうして活動できているのはOB・OGの皆様のご支援のおかけです。お忙しい中グラウンドに足を運んでいただき、金銭的な面においてもサポートしていただき、本当にありがとうございます






















1年生のみんなへ
まず入部してくれてありがとう。そして辞めずに続けてくれてありがとう。みんなの明るさに元気づけられたことがいっぱいあるし、そのまま仲良く頑張っていってほしいです。今後さらに大きくなって強くなってグラウンドに立つ姿を期待しています。


























2年生のみんなへ
個人的に曲者だらけの2年生だと思っていますが、どんどん頼もしくなっていく姿を見てすごくかっこよかったよ。これからはチームを運営する立場になっていくと思うけど、それぞれの強みを生かして同期で協力して素敵なチームを作っていってね。


























同期へ
私たちの代は入部したときから本当にいろんなことがあったことは言うまでもないけど、同期会や、同期旅行全部楽しかったし私にとって大切な思い出だよ。同期っていう言葉に甘えて傷つけるようなことを言ったり、失礼な態度をとってしまったりしたけど、大切な存在だったしだからこそちゃんとあの時言っておけばな、とか後悔していることもたくさんある。引退する姿を見ることはできないけど、遠くから応援しています。





















スタッフのみんなへ
頼りない先輩だったかもしれないけど、1年間一緒にスタッフとして仕事をすることができてとても楽しかったよ。スタッフの仕事は目に見えるものと見えないものがあって、他の人から見えない仕事ほど結構大変だったりするから、きっと途中で嫌になることもあるかもしれない。でもそんな時こそ周りにいるスタッフ、プレイヤー、先輩方を頼って一人で抱え込まずに、楽しく部活を続けていってほしい、それが一番の望みです。























4年の先輩方へ
この1年間たくさんお世話になりました。プレイヤーとしてもっと戦術だったり、プレーのことに集中したかったはずなのに、それ以外のことでたくさん時間を割いてしまって申し訳ないです。特にかんたさん、イーサさんは親身になって一緒に考えてくれたり、話を聞いてもらったり感謝してもしきれません。二人と一緒に副務を務めることができて楽しかったです。


































愛佳と佳菜へ
二人に出会えて本当に良かった!3人の間に共通点は驚くほどないけど毎回話しているだけで楽しかったし、なんでも話せる仲の二人がいたから部活を楽しめることができたよ。今は3人それぞれ別の国にいるけど、帰国したらまた遊ぼうね!あ、あとマレーシアで会おうね~

















































外大ラグビー部、自分にとって一番の青春でした。そして自分を成長させてくれた場所でもあります。最高の思い出と経験をありがとうございました。

2025.2.27
佐藤智夏
 

クソったれ

 written by 谷川 光之介 投稿日時:2025/02/20(木) 23:12

リレー日記をご覧の皆様こんにちは。
マレーシア語4年の谷川です。


やっとのこと卒業論文が脱稿したので、引退リレー日記を書いていこうと思います。

文中にて長々書かれた恥ずかしい自分語りのほか、読んでいて不快になるような表現があると思います。

ただ最後の我儘として大目に見てもらえますと幸いです。


去る2024年12月21日の大阪戦、7番で出場した20分。チームとしては大敗でしたが、この試合こそが自分にとってのデビュー戦であり、復帰戦であり、そして引退試合でした。

ラグビーの試合としては2回目でしたが、外大ラグビー部として出たのはこれが初めてでした。

ラグビー人生と呼ぶのも憚れるような私の競技人生は、時間にして前半戦にすらならない20分そこらだったのでした。

どうしてこんなことになったのか。


私と外大ラグビー部の出会いは、まだ高校生だった2019年に遡ります。

2019年当時、私は部活で剣道をやっていました。

保育園からやっていたものの部活でやるほど好きではなくて惰性で続けていたのが本音で、特に高校の時にはモチベーションにかなり限界が来ていました。

そんな折に2019年のワールドカップがあって日本代表の活躍とラガーマンのかっこよさに感動を覚え、ブライトン以降なんとなく惹かれていたラグビーを心からやりたいと思い始めました。

ちょうど進路の候補に外大を考えていた時期でもあったので外大ラグビー部のサイトを覗くと、都合の良いことに部員の多くが初心者から始めていることを知りました。

この時初めて後に入部する外大ラグビー部を意識し始め、外大に入ってラグビーを始めるのが黄金ルートだと確信したのです。

しかし剣道とは長年連れ添っただけにキッパリとけじめをつけて辞めたかったものの、コロナで引退試合もなく引退してしまい、燻った気持ちがどこかにありました。


そして受験を乗り越えて迎えた2021年の4月、私の前には様々な道がありました。

部活には入りたいと思っていたので幾つか見学に行き、候補に残ったのがラグビーとアメフトと剣道でした。

ラグビーと剣道は言わずもがなですが、アメフトはラグビーと似たようなものだと思い見に行ったのがきっかけです。

剣道は生涯スポーツであるようで、未練がありつつも今しかできないことをやろうと思ってラグビーかアメフトに絞りました。

結局アメフトに入ったのですが、この時渇望していたラグビーを選べなかったのには訳があります。

様々ありますが最大の理由が、安全面への配慮がアメフト部より劣っていたように感じたからです。

見学に行った時のラグビー部の雰囲気はアットホームで肌に合う感触が凄まじかった反面、その雰囲気が規律面の緩さに、ひいては安全性の低下に繋がっていたらどうしようかと思うと不安が拭えませんでした。

こうしてアメフト部に入部したものの、雰囲気に馴染める気が全くせず即座に幽霊部員化してしまい、隣で活動しているラグビー部を見に行ける訳もなく8月まで宙ぶらりんでした。

何もしていないことを親に叱責され、重い腰を上げてラグビー部を見に行き、退路もないので入部を決めました。


それ以降の日々はそれ以前と比べて遥かに充実していて、朝早いのは辛くとも楽しさが優っていました。

頸椎損傷への恐れからフロントローを当初は何が何でも忌避してフランカーを志望していましたが、自分が出場できる可能性とスローを面白く感じて、いつしかフッカーを志望するようになっていました。


そして2021年12月5日、先輩方に勧められて草ラグビーに行き、プロップで途中出場&デビューしました。

あの時の状況は今でも鮮明に覚えています。

入ってすぐ隣のポットでペナルティがあって、タッチからのラインアウト。

そこでノットストレートからのスクラム。

一度も練習したことのないためにスクラムの難しさも知らず、地面がぬかるんでいたのもあって崩してしまい、組み直したのち左足を滑らせ膝を地面に打ちつけ捻り膝蓋骨を脱臼。

今思えばあの時の「ゴリッ」という音と共に、私の競技人生は終わっていたのでしょう。

ただその時は意外と悲観していませんでした。

ラグビーでそこそこの怪我をするのは当たり前で、最初かかったヤブ医者にも内側靱帯の損傷で全治3ヶ月と言われていたので、これも経験だと思っていたのです。


しかしいつまで経っても良くならず、違う病院にかかったら実は膝蓋骨の脱臼だったことを知りました。

最初はリハビリだけでの復帰を目指して練習にも入れるようになったものの、2年の6月に再度脱臼。
後の競技人生を考えたら手術をした方が良いだろうと思い7月に手術しました。

実はこの時に、入部時に考えていた3年生で留学して5年で卒業することを諦めました。

ただでさえ初心者から始めて試合経験も技術も何もないのに、これから手術してリハビリして1年後に復帰しても数ヶ月で留学になって、帰ってきたら試合経験も技術もない4年生になるだけだと思って5年卒業を諦めました。

その後はリハビリに励んで少しでも早く復帰できるように努力したものの、11月に走っていたら今度は膝蓋骨を骨折。

手術したら3ヶ月ほど復帰が早くなると言われ、再度手術。

この時点で既に怪我をしてから一年近くが経とうとしていて、もうこれ以上時間をかけていられないと思っていたのです。


しかしいつまで経っても良くならず時間だけが流れていって、後輩に抜かれることなど毎年のことで、2年の時まで感じていた悔しさとタータンで過ごすことへの違和感が段々と薄れてきている自分がいました。

そしてチームが勝っても心から喜びを感じれず、負けても悔しく思えないようにもなっていました。


「何で自分がこんな目に遭っているのか。」

「こんなことになるなら最初の自分の判断を信じてアメフト部に残るべきだったのではないか。」

「確固たる意志を持ってフロントを固辞していればよかったのに。」

「結果的にちゃんと復帰できなかったのだから手術なんてする必要は全くなかったのに。」

「3年生での留学も諦めたのに。」

「時間も健康もお金も、多くのものを犠牲にしてきたのに。」


そんな思いが3年の頃からずっと頭の中から離れず、何もない暗い海で息継ぎもできず溺れているような気分でした。

同期スタッフや他部活の同期が部活をやりきって引退していく中、自分は何も成し得ていない。

あの時試合に誘ってくれた先輩方に負の感情が向いてしまい、でも本当に大好きな先輩方がゆえにそんな自分にも嫌気が差してなんとも最悪でした。


そして気づいたら自分が一番恐れていた試合経験も技術もない、しょうもない4年生になっていました

4年の春以降になってコンタクトを除く色々なメニューに入れるようになったものの、出来なかったものが出来るようになるにつれて自分が失った時間の大きさを気付かされ、さらには怪我による身体機能の低下を痛感するようになり、本当に辛くしんどい時間でした。


4年間で唯一ラグビーを辞めたいと思ったのは、この時でした。

正直このチームが4部に行こうが行かまいがそんなことは自分にとってどうでも良いことで、どうやったら自分の納得のいく終わり方が出来るかだけを考えていました。

こんなマインドでいたのは絶対的に間違っていましたし、チームの諸問題が発露した昨年、その対応とチーム運営に追われていた同期を助けることなく、利己的な考えに終始していたことは大変申し訳なく思っています。

そして離脱している期間に他に色々出来たことがあったはずなのにやってこなかったこと、そして他責的な思考にあったことは反省すべき点であります。

ただ時間を戻せたとしても、何かしら出来た自信は全くないのも事実です。


こうして一度も公式戦に出ることなく大阪戦の20分で引退したのですが、ここに来るまでの過程がなんともクソみたいなものであっても続けてこれたのは、高二以来のラグビーへの憧れと、他ならぬラグビー部のみんながいたからです。

きっとみんながいなければ、とっくに辞めていたでしょう。


練習後の東屋やジムでの何気ない会話、ガレリアで誰かが座っているといつの間にか部員が集まって出来る集団、一緒に受けた授業、観光会、その他にも書ききれない様々なことが、かけがえのない思い出です。

この心地良いコミュニティを手放したくなくて続けてきた一面もあります。

そして願わくばラグビーでも楽しい時間を共有したかった。

自分が享受してきた楽しさは、全てグラウンドの外のものでした。

それでも部の一員としてみんなと楽しい時間を過ごせたのはせめてもの救いであり、最大の宝物です。


先輩方とは本当に素晴らしい時間を過ごさせて頂き、そして可愛がって頂きお世話になりました。

下級生の頃、先輩方が作り出すラグビー部の雰囲気が大好きで、辛くとも続けてこれました。

特に色々お世話になった興平さん、大阪戦にて自分に代わりキャリーして下さった田沼さんと千駿さんをはじめ、多くの先輩方に心より感謝申し上げます。


後輩たちも下らないボケやダル絡みに反応してくれたり、仲良くしてくれてありがとうございました。


そして素敵な同期のみんなには、言い尽くせないほどの愛と感謝で溢れています。

言葉で飾れば飾るほどに陳腐に聞こえてしまう気がして多くは語りませんが、本当にみんなと同じ代で幸せでした。

特に自分の我儘でしかない大阪戦出場の機会を与えてくれたことには、感謝してもし切れません。

たくさん迷惑をかけてきてごめんなさい。

この先もずっとよろしくお願いします。



長々と、しかもネガティブなこと多めに書いてしまい大変申し訳ございませんでした。

本来こんな文量を書くべきは幹部のみで、自分ごときが書いていい量ではないと思います。

かくも美しくないダサい引き際で、恥ずべきことであることは重々承知しております。

それでもこの胸の内にある数多の思いをここに吐き出し切らねば、次のステージへと行くのに差し障る気がしました。


ラグビー部に入って良かったのかどうか、学生生活をかけるだけの価値があったのかどうか、それらを考えるたびに頭の中が混乱してしまいます。

結局ラグビーに起因する辛さをラグビー部の楽しさで濯いできたのですから、客観視すると依存関係、それが負かどうかは分かりませんがスパイラルの中にいたのです。

そもそもこんなことは考えてはいけないことのように感じて、その整理のつかない心境から思うことは「クソったれ」の一言です。


それでもいつか、この忌まわしくもあり素晴らしくもある日々の思い出が混沌から抜け出して、プラスの感情に収まることを祈願して筆を置こうと思います。


これまで誠にありがとうございました。

皆さんのご活躍を、心より祈願しております。


2025.2.20
谷川光之介

グレープフルーツ

 written by 小林 愛佳 投稿日時:2025/02/03(月) 17:27


こんにちは。マレーシア語科3年の小林愛佳です。

 

昨年末をもちまして、ラグビー部を引退いたしました。3年間、部活動を続けることができたのは、チームメイトをはじめ、支えてくださったOB・OGの皆様や保護者の皆様のおかげです。心から感謝申し上げます。

最後のリレー日記では、部活を振り返り、ただ感じたことを素直に綴ろうと思います。拙く、少し長い文章になるかもしれませんが、お時間のある方は読んでいただけると嬉しいです。

 

まず、いまだによく聞かれるので、私がラグビー部に入ったきっかけを書こうと思います。

入学したばかりの頃、私は別の部活に入るつもりでした。体験にも参加しましたが、練習が想像以上に厳しく、バイトとの両立が難しくなりそうだったため、入部を断念しました。それでも、せっかくの大学生活を部活もせずに過ごすのはもったいないと感じ、いろんな部活を見学することにしました。そして、入学式で谷さんからもらった新歓冊子を参考にしながら、友人とラグビー部の練習を見学しに行きました。


入部を決めた一番の理由は、ラグビー部のあたたかい雰囲気でした。また、一生懸命ラグビーに向き合う皆さんをみて、このチームを支えるスタッフとしてサポートしたいと思うようになったことも、大きな決め手となりました。こう思わせてくださった先輩方には、心から感謝しています。


 

シーズンを振り返ると、3年間、毎年「今年こそ最強のチームだ」と思いましたし、本当に昇格できるのではないかとワクワクしました。自分がチームの力になれた自信はありませんが、それでもチームの一員として全力で応援できたことが、何より嬉しかったです。

特に最後の年は多くのご迷惑をおかけしてしまい、皆さんには申し訳ない気持ちでいっぱいです。それにも関わらず、温かい心で私を受け入れてくださり、ありがとうございました。

 

今部活を振り返ると、「もっとこうしていれば」「あのとき違う選択をしていれば」と思うことがいくつもあります。全く後悔せずに引退するのは難しいかもしれません。それでも、もう少し自分で工夫して、もう少し踏み込めば、もっと良い今を過ごせていたのではないかなと、今でもよく考えてしまいます。
 

私はまだまだ未熟で、後輩にアドバイスできることはあまりありませんが、みんなにはこれからの日々を大切にして、少しでも後悔のない形で引退してほしいと願っています。思っているよりもすぐに引退の時はやってきちゃうんです!

もしみんなが引退するときに、「自分は間違いなくこのチームに必要な存在だった」と自信をもって言えたなら、自分なりに全力を尽くしてきた証になるのではないかと思います。

 

この3年間の経験は、間違いなく私にとってかけがえのないものでした。ラグビー部は、私にとってとてもあたたかい居場所でした。

出会ってくれた皆さんに感謝します。またどこかでお会いできたら嬉しいです!

 

本当にありがとうございました。



2025.02.05 
小林愛佳

ゴールデンタイムに憧れて

 written by 近藤 優介 投稿日時:2025/02/02(日) 10:24

慌ただしい日々を終えて、ちょっとばかり穏やかな毎日を過ごしていました。さて、最後のリレー日記を更新する時が来てしまいましたね。

 



武蔵境でカンタと初めて会って、グラウンドに行った日を今でも昨日のことのように覚えています。当時の僕は、大学に入るまでどの学校にも最初から最後まで居たことがなく、転校ばかりの人生を過ごしてきました。なので、何かをやりきったという経験がなく、大学こそは大志を抱いてやり遂げられる何かを見つけよう、と意気込んでいました。



今だからはっきりと言えるのですが、まさかラグビーがやりきったものになるとは夢夢思っていませんでした。というのも、高校2年生のときに中途入部という形でラグビーを始めたものの、結局結果を残せず、公式戦に出ることなく引退していた経験があったからです。僕自身、ラグビーに向いていないことは大学に入る前から重々理解していましたし、周囲にもラグビーだけはやらないだろうと言われていました。

 


ただ、ここでラグビーを辞めてしまったら、自分の棺桶の蓋が閉じる瞬間、最後の公式戦を観客席から見送ったという後悔が顔を覗かせるのではないか。そんな考えがグラウンドに足を向かわせ、気付けばラグビーを続けていました。



先輩方や同期は知っての通り、都立の名門から入部した割にはパスも碌に放れないSHでした。身体も大きくありません。きっとあらゆる場面で期待はずれに思われたと思います。それでも、今後に期待して、と、先輩、同期、後輩の全員が自分に居場所を作ってくれました。パスの上手い人の4-0を真似たり、小柄な体格の人のタックルに勇気づけられたり、時には退部を引き留めて貰ったり。色んな人から少しずつ色んなことを学び、支えて貰いました。最後に勝って恩返しをという目標には届きませんでしたが、沢山の方々のおかげでこの度、約6年のラグビー人生に何とか幕を下ろすことが出来ました。



今まで、所謂良い転校生を演じ続けて、勝手に孤独を感じてきた僕にとっては、外大ラグビー部は初めて長い時間を過ごし、弱いとこも苦しいとこも晒け出した場となり、「お前と一緒にラグビーをやりたい」と言って貰った大切な場所となりました。元乃木坂46の橋本奈々未さんの言葉に「人は必要な時に必要な人と逢う」とありますが、本当にその通りだと思います。これまで24年の人生で一度も出来なかった経験を、外大ラグビー部関係者の方々のおかげで学生生活の最後に体験出来ました。きっと他の場所、他のことではダメだったんだと思います。

 

2024年は上手くいかないことばかりで、どうしてラグビーを続けちゃったんだろうと考えてしまう時が多々ありましたが、ラグビー、続けて良かったです。最終日に味わった切なさは、一生忘れることありません。






さて、最後に2つだけ。

これからの2年間、アフリカでお仕事させていただくことが決まりました。僕が一番希望していた夢を叶えられる有難い機会を頂戴しました。一方で、希望だけで2年間を過ごせるとは思っていません。きっとどこかで苦しい時がやって来ると思います。それでも、そんな時はこの4年間、特に2024年を思い出して前を向いて一歩ずつ歩んで行こうと思います。異国の地から、可愛い後輩ちゃんたちの活躍を楽しみにしています。いつまでも応援しています。








 

最後に同期へ。

SpecialThanksの流れに乗れなかったのでこの場で書きます。思い出はいっぱいあります。言葉もいっぱいあります。本当に長くなってしまうので、最も言いたい一言だけ贈らせて頂きます。



4年間本当にありがとう。

これからもよろしくお願いします。




2025年2月2日

近藤優介
















 







 

 

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