リレー日記 2016/6
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ぽっぽぽっぽ
投稿日時:2016/06/07(火) 20:17
早速ですが、まずは自己紹介から。私は東京都足立区というとても治安が良くて、安全な街で赤ちゃんの頃から今まで生活してきました。家のすぐ横には舎人公園という非常に自然豊かな場所があり、幼い頃からヒキガエルやカルガモと戯れています。ついこの前も久しぶりに公園を散歩し、一列になってスイスイ進むカルガモ親子の姿を1人で激写してきました。
中高は台東区の白鴎中学・高校に通い、3年間陸上部で短距離種目と幅跳びに取り組んだ後高校ではバスケ部に籍を置きました。私たちの代ではプレーヤーの人数が少なくフル出場は当たり前、中学生を入れてやっとまともな練習が成り立つなど波瀾万丈な思い出が多々ありますが、とりあえず引退までやりきった後の達成感は素晴らしかったですとだけお伝えしておきます。
続いて、ラグビー部に入った経緯について綴らせていただきます。と言いたいところなのですが、下書きの段階でそれはまあ冗長な文章ができてしまったことに気付きましたので次回以降書かせていただきたいと思います。ラグビー部は最高です。
それでは遼くんのフリに答えますね!アフリ科のツイッターアカウントで「ぽっぽ」と間違えて言ってしまった犯人が私であることを何故遼くんが知っているのかは置いておいて、ハトについて語らせてください。いや、語るもなにもないのですが、私は鳥が大好きです。ちなみに姉も鳥好きです。外大でもムクドリやセキレイの姿を確認することができ、疲弊した心を癒してくれます。
私がぽっぽに魅力を感じるのはなんといっても首を振ってよちよち歩く姿の愛らしさ、ぷにぷにしたくなるハトムネ、早朝に聞こえてくる謎の鳴き声、人間への恐れを知らない強い精神、何を考えているかわからないあの顔、などの点でしょうか…。見ているだけで幸せになります。しかし、彼らは確かに雑菌だらけだし、自転車で通りたい道も平気でズカズカ素通りする傲慢で危険な鳥でもあるので「ハトを愛してください!」と声を大にしては主張はしません。過度に虐めず、共に生きていきましょう。
アッあと1年マネ一同は、同期から名前を呼び捨てにされるのを心待ちにしています。どうぞ呼んでください。仲良くしてください!
やっぱり長くなってしまいました。次の太周くんにバトンタッチしたいと思います。はなまるうどん。太周くんははなまるうどんでバイトをしていると聞きました。経営理念とバイトのやりがいをアツく語ってくださいな!
我がアモーレは何処にあらん…
投稿日時:2016/06/06(月) 21:22
こんばんは。
みなさま初めまして、トルコ語科1年の山内遼と申します。
自分の文が拙いことををどう詫びたらいいかすら分からないので、このまま自己紹介に入らせていただきます。
生まれは北海道札幌市西区八軒。つまりそうです!みなさま既にお気付きのように、2年生のノブくんの母校、新川高校のすぐそばです。
生まれてすぐ千葉県の某テーマパークのそばに引っ越し、
そこから東京は目黒に引っ越し、世田谷へ引っ越し、
3歳からはアメリカはカリフォルニア州に1年半ほど、未来の外大生としての素養を身につけるべく武者修行に出ておりました。(親の転勤です。)
この後もまだまだ引っ越すのですが、紙面の都合上割愛させていただきます。
そんなこんなで、今日までの引っ越し回数はおそらく13回です。
出身高校は都立の三鷹中等教育学校という中高一貫校で、中学ではサッカー部、高校ではラグビー部に所属していました。記憶に新しい方もいらっしゃるかと思いますが、サッカー部が一昨年全国大会に出場したあの都立三鷹です。
高校時代には1年間アルゼンチンへ交換留学に行き、現地の高校に通いスペイン語を勉強して、現地のラグビーチームで少し試合に出ていました。少し試合に出ていたというのは、向こうに着いて3ヶ月ほどで、コンタクトの練習中に膝の前十字靭帯を断裂してしまったからであります。アルゼンチン人は大きいです。なめてました。あいつら肉しか食べてないんです。そして、”前十字靭帯断裂”ですが、現在の外大ラグビー部には僕と、4年生のあきとしさんしか経験者がいないので、年中無休でどしどし新たなメンバーを募集中です。
高3にあがる直前に日本に帰ってきて、膝を手術して、勉強はそっちのけでリハビリに勤しみ、夏から試合復帰し、秋の最後の大会はフルバックとしてプレーしていました。引退試合となった試合では、自分のコンバージョンが外れたまま1点差で負けてしまい、その時大学でも絶対ラグビーを続けてもっと上手くなろうと誓い、大学で早くラグビーがしたい!!という気持ちを受験勉強のモチベーションにしていました。
受験勉強は10月の引退までほとんどしていませんでしたが、外大志望というのは決めてあったことと、2次試験が英語ではなくスペイン語で受験できるシステムのおかげで無事現役で合格できました。
センター試験後からはラグビー部の練習に時々参加させてもらうという余裕のある受験生でしたので、いつかこのツケが回ってくると思いビクビクしております。
長くなってしまったので、そろそろ森川からのフリに答えようと思って今確認したのですが、具体的なフリが見つかりませんでした。ママが剃り込み入れるのをミスったのは本当で、そのため現在は、(誰も気づいてくれませんが)いつもと逆方向に髪を流して隠しています。自分の髪型について少し書かせてもらうと、自分のこの、頭のてっぺんだけ毛髪が伸びており、横は定期的に自分でバリカンを入れる髪型は中学校の頃からです。約6年前からなので最近のサッカー選手はみんな僕の髪型を真似したことになりますね。この髪型のおかげで、高校の頃はほぼ毎朝校門で生活指導の先生と押し問答を繰り返していました。僕が卒業した後、この4月からは、「モヒカン禁止」と校則に明記されるようになったと高校の同級生から聞きましたが真偽のほどは未だ不明です。本当だったらごめんよ後輩達。
さて、次はマネージャーのしずかちゃん(同期なのにまだちゃん付けなのは許して!)です。しずかちゃんはLINEのグループトークで、何に対しても鳩のスタンプで返してきたり、語科の公式ツイッターでも「ぽっぽ」とつぶやくなど、鳩への愛がにじみ出ていますが、理由を教えて!!
平愛梨を長友にとられた・・・
投稿日時:2016/06/05(日) 15:07
リレー日記をご覧の皆さま、初めまして。ヒンディー語科一年の森川将伍です。たくさんの先輩方がつないできたバトンがとうとう僕にも回ってきました。しかし僕は非常に文才に乏しいもので…拙い文となってしまうことをお許しください。
僕は高校三年間、埼玉の浦和高校のラグビー部に所属しておりました。高校に入学したばかりの僕がラグビー部に入部したのはズバリ…ノリでした。「ちょっとパス放ってみ?君センスいいねー!ラグビーやろうよ!楽しいよ!」「ラグビーやるとめっちゃモテるよ!」「練習は週五回!日曜日は大体オフだから勉強と両立可能だよ!」という先輩からの熱い勧誘もまた僕の入部を後押ししました。もっともこれらの先輩の発言は狂言であることが判明しましたが…。
ラグビーが本当は非常に厳しいスポーツで、全くモテず、練習は週七で勉強などする時間は全くないのだと身をもって実感した後でも僕はなんとかラグビーを最後までやり抜きました。幸運にも高校三年の花園予選の決勝では宿敵に勝ち、花園に出場することができました。
高校時代のポジションはSHでした。パスをすることは大好きです。筋トレをすることは大嫌いです。自分の投げたパスが大ゲインを呼び込んだとき思わず顔がほころびます。相手のPRが自分に向かって突進してきたときは顔がほろびます。
僕が東京外国語大学でラグビーに関心が向いたのは、またしても先輩方からの熱い勧誘でした。先輩方におごっていただいた金額はいくらほどになるのでしょうか…とてもありがたい話です。残念なのは新歓期が終わるや否や先輩方が学校の食堂からこつぜんと姿を消してしまったことです。必ずや潜伏先を突き止めますからね、せ・ん・ぱ・い。
もっとも入部の決定打となったのは、もちろん飯を食わせてくれるからというわけではなく、練習試合で見たある先輩の熱い姿でした。その試合の内容はあまりいいものではなかったのですが(申し訳ありません)先輩が試合後に涙しているのを見て、一緒に強くなりたい、一緒にラグビーをやりたいと心の底から思いました。
このあたりで彩加からのなかなかやりづらいフリにこたえていこうと思います。おしゃれなラグビー部員を教えてくれということでしたが、残念ながらラグビーとおしゃれはまさに対局の存在です。しかし決して混ざり合うことのない二つを完璧に併せ持つ人物がいます。それは二年生の木和田光太郎君です。木和田君とは高校時代のラグビー部の同期なのですが、彼のそのスタイルの良さに匹敵する者はいないでしょう。実はここだけの話、密かにモデル業もやっているのだとか…。とにかく木和田君から目を離せません!!!
次は山内遼君です。
今流行りのモテヘアーで数々の女の子を魅了している遼ちゃんですが、この間ママに変な剃り込みを入れられてしまったと聞きました。どんまい!!!
夜分遅くに失礼します
投稿日時:2016/06/04(土) 00:25
早速、自己紹介をさせていただきます。私は熊本県出身で一人っ子で海外へ行ったことがなく田舎で伸び伸びとした暮らしを送ってきました。部活は小学校バドミントン、中学高校硬式テニスというラケットとずっと青春を送ってきました。いままではずっとプレイヤーとしてかつキャプテンとして12年間過ごしてきていきなりマネージャーという選択肢を選んだ理由は初めはただ単純に誰かをサポートするという仕事をしてみたかったからというものでした。プレイヤーとキャプテンは自分が主体的に動くことが基本で周りに支えられながら部を成り立たせていくことで精一杯でした。そんなとき常に自分が支える側の経験があればキャプテンとしてももっとうまく立ち回れるのではないかと考えていました。まとまりのない文になりましたが、自分の経験値をあげるためにもマネージャーの仕事をいち早く覚えてラグビーの役に立てるように精進いたします、、。
外大ラグビー部との出会いは外新歓の時ですごく可愛い先輩とすごくキャラの濃い先輩とお話ししたときでそれ以降他のラグビー部の面白い先輩方と出会い、ほんと単純に人柄に惹かれて入部を決定しました。
そしてあやなのフリにこたえます!
フォワードとバックス、、難しいですね、、笑。ここでどちらかをあげると後々支障が出るような気もしますが、、どちらかといえばフォワードですか、、理由は数字を声をあげた後に成功したときになぜか見ている側にも達成感があるからです。その後のパスを繋ぐのに大事な場面で緊張感もありつつプレイヤーが協力してボールを動かすところを見るのが好きです。
まだまだラグビーについての知識が浅く、なんとなくでしか回答できず申し訳ないです。今度あやなとフォワードとバックスについて語り合いたいです、、。
さてつぎは森川将伍くんです!
この前はパスを無視してしまいすみせんでした。ここで謝らせていただきます、、。
ここで将さんに聞きたいのは
おしゃれな将さんが思うおしゃれなラグビー部員を教えてください!
豚カツと千切りキャベツ
投稿日時:2016/06/01(水) 20:57
私は都立立川高校で吹奏楽をしていました。打楽器パートを担当した私が、演奏以外に大好きだったものがあります。それは、楽器の梱包、トラックへの積み込みや、舞台上の打楽器セッティングなどの裏方の仕事です。特にコンクールでは、時間内に、素早くかつ正確にセッティングを完成させることに注力し、我ながら、セッティング賞を貰っても良いのではないかというほど美しい舞台転換が出来たと思います。
自分にスポットライトが当たると萎縮してしまうけれど、脇役となって、頑張っている誰かのためにする仕事はとっても楽しいと気付きました。そうして、頑張っている人を一番近くで支えたい、サポート役に徹してみたい、と思うようになり、マネージャーという仕事に興味を持ちました。
ラグビー部に出会ったのは、中国語科の先輩である友希さんに練習に誘っていただいたのがきっかけでした。そこでラグビー部の魅力に取りつかれ、朋子同様、筋金入りの文化系である私が入部を決意したのですが、それについては次回以降じっくり書かせていただこうと思います。
今はまだ自分の仕事に精一杯で、気配りも何も出来ていませんが、プレーヤーさんが日々プレーを磨いていくように、私もサポート力に磨きをかけていきたいです。これからよろしくお願い致します!
長くなってしまいましたが、ここで雅史君の振りに答えようと思います。無人島に持って行くならどの雅史がいいか、という質問ですね。そもそもなぜ選択肢が雅史しかないのか疑問ですが、「雅史を一人連れて行け」と言われたら、迷わず藤池さん家の雅史さんを選びます。なぜなら彼は、ラグビー部の練習でいつも一人だけドロドロになり、過酷な環境に慣れるためのトレーニングを積んでいるからです。そのワイルドっぷりはグラウンドの外でも発揮されているようで、左足から血を流したまま授業を受けている、中国語を音読する声が大き過ぎて自分の音読が聞こえなくなる、などという情報が流れています。このように生命力溢れ、どんな状況にも臆せず果敢に立ち向かう雅史君なら、きっと無人島での生活も助けてくれると期待しています!
雅史君、こんな感じで大丈夫でしょうか?
次は、マネージャーの宮石彩加ちゃんです!実は彩加は、私が外大で一番最初に仲良くなった友達です。中国語科、ラグビー部、名前の「彩」など共通点が多く、双子のような気分になってしまいます。そんな彩加に聞きたいです。彩加は、フォワードとバックスのどちらがより好きですか?どんなところが好きかも含めて教えてください!
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