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リレー日記 2015/5

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短くてすみません

投稿日時:2015/05/18(月) 20:47

初めまして、ベンガル語1年の柏原一俊です。本来はきのう書くべきでしたが、いろいろありまして今日になりました。すみません。その上、先ほど書いた記事がどういうわけか消失してしまったので簡潔に書きたいと思います。出身は大阪で、筋金入りの阪神ファンです。中高では運動経験はほぼゼロですが、小学校のころを含めることができたならば、6年間剣道をしていました。今は全然していないのでどこまでできるはわかりませんが、少なくとも切り替えしぐらいはできると思います。中学時代は卓球部の幽霊部員でした。なぜ幽霊になったかといえば、上級者厚遇のクラブだったので私は事実上、戦力外みたいな存在になってしまったからです。そのため高校時代は運動とは一線を画し、将棋部に入りましたが、目立った実績はありませんでした。それよりも高校時代は、今の日本の政治問題や日本の近現代史のことなどについての本などばかり読み、ほとんど五教科(日本史のぞく)の勉強などはしていませんでした。その後、紆余曲折があって、この大学に入りました。ここからは海成君のフリに答えることになりますが、なぜ私がラグビー部を選んだのかという質問ですが、大きな理由としては、もし、大学時代に何の運動もしなっかたら今後の人生で運動することはおそらくないだろうと前々から思っていたので、何らかの運動部に入らねば。と考えていた中でラグビジョンを見て面白そうだなと思ったことと、どこまでできるのかはわかりませんが、最も練習が大変そうな(私のイメージ)クラブに入って頑張れるだけやってみようと思ったからです。もう一つのフリにもこたえておこうと思いますが、FWがしてみたい理由は体当たりして相手を突き飛ばすということをしていたいという単純な発想からです。そのためにはまず、体重を増やさないとお話にならないのでそこを何とかしたいです。とても短い文章になってしまいましたが、このあたりでノーサイドにさせていただきます。次は木村健人君です。自己紹介と入部動機など自由によろしくね。

田舎者

投稿日時:2015/05/16(土) 22:45

みなさんこんにちはー。新入部員の岩本と申します。井尾圭秀くんからは「入部理由とやってみたいポジションを」、ということだったので簡潔に述べたいと思います。何しろ文章を書くことが大変苦手なものですので。

 まずは自己紹介からですね。国際社会学部ラテンアメリカ地域ポルトガル語科1年の岩本海成と申します。”うみなり”ではなく音読みで”かいせい”です。実は僕にはミドルネームがあり、フェルナンドといいます。というのも父親の仕事の関係でブラジル生まれなんです。もちろん国籍は日本なので正式な名前ではありませんが、語科の間ではフェルナンドと呼ばれています。そのせいか顔も濃く、ハーフだとよく勘違いされるのですが...生粋の日本人ですので以後お見知りおきを。ブラジルのサンパウロというところで3歳まで過ごした後は佐賀で育ちました。九州です。田舎です。SAGAです。というわけで出身は佐賀県唐津市というところになります。唐津はとてもバドミントンが盛んなところでして、当然のようにバドミントンをしていました。小・中・高とひたすらバドミントンに打ち込んできた、いわばバドミントンばかです。では、なぜそんな僕が突然ラグビー部へ入部することになったのかお話したいと思います。
 
 出会いは井尾くんと全く同じです。合格者手続きの日に運よく(運悪くかもしれません...)幸大さんに捕まりました。当初はラグビー部に入る気なんてさらさらなく、半ば強引にブースに連行され、アンケートを書かされ、連絡先を交換させられ…スポーツ観戦が趣味で特にサッカーとラグビー、いわゆるフットボールですね。それを見るのは大好きでした。しかし、見る分には面白いですがタックルなんて自分には絶対にできないと思っていたので入部なんて言葉は全く頭によぎりませんでした。
 転機は練習に参加させていただいたことです。幸大さん、それから語科の先輩の大湯さんに何度も何度も見学のお誘いを受け、行ってみると…とにかく楽しかった!!!歩きではない本当のタッチフットでトライできたときの快感、そしてなにより、真剣な雰囲気の中にもユーモアがあり優しく面白い先輩方に惹かれていきました。大学生となり何か新たなことに挑戦してみたいと考えていたので大きなチャンスだと思いました。正直、ソフトテニス部やアメリカンフットボールなど他の部活も悩んでいたのですが、最後はやはり短く貴重な大学生活をこの面白く優しい先輩方・仲間と一緒に過ごしたいと思いラグビー部への入部を決意しました。
 以上入部理由を簡潔にまとめると、もともとラグビーが好きだったこと、ラグビー部の人の良さ・人柄に惹かれたことです。

 次にやってみたいポジションですが、ずばりバックスです。バックスができるほど足は速くないですし、ステップも切れないですが、とにかくバックスがいいです。長い距離を駆け抜けてトライを決める姿に憧れます。

 以上簡単ではございますが僕の初リレー日記とさせていただきます。
 次は柏原一俊くんです。
 将棋部からのラグビー部への転向理由、FWがしたい理由とっても気になります。教えてー!

 ありがとうございました。
 
 

 
 
 
 
 

新参者

投稿日時:2015/05/15(金) 23:09

リレー日記をご覧の皆さん初めまして。フィリピン語科1年の井尾圭秀と申します。鐙君からは自由にということだったので、入部理由を交えながら自己紹介したいと思います。

まず名前ですがいおよしひでと読みます。初対面の人に自己紹介すると、必ずと言っていいほどいよやいいおと間違えられます。電話越しだとなおさらです。勿論滑舌が悪い僕にも非はあるのですが。その点文章ではそのような誤解が起きないので有難いです。住まいは神奈川県海老名市で、自宅から外大に通っています。神奈川県立厚木高校出身で、高校時代は水泳部に所属していました。ではそんな陸上とは無縁の僕がラグビー部に入部することになった経緯をお話ししたいと思います。

事の発端は合格者手続きの日です。手続きを終えた僕はさっそくアメフト部に捕まってしまいました。その場を離れたとき、後ろにいたのはなんと幸大さんでした。僕がアメフト部のブースでフィリピン語科だと言ったのを耳にしたらしく、待ち構えていました。その後色々な話をさせて頂きました。フライング新歓にも誘ってくださったのですが、生憎都合が合わず参加できませんでした。

無事外大に入学し、専攻語別懇親会で幸大さんと再会しました。そして翌日の新歓に誘ってくださったので、今度は参加しました。そこで色々な先輩方と話をさせて頂き、先輩方の優しさとラグビー部の雰囲気の良さが印象に残りました。この時まさか自分がラグビー部に入部することになるとは夢にも思いませんでした。

その時は正直テニス部を考えていました。というのも、中学時代は軟式テニス部に所属しており、ある程度は打てたからです。しかし実際に体験に行ってみて、周りは経験者ばかりだったので硬式テニスの経験がない僕は気後れしてしまいました。大学生になり何か新しいことを始めたいという思いがあったので、他の部活も候補に考え始めました。

新歓以来何度も幸大さんに誘って頂き、試合を観戦したり、練習を体験させてもらい、多くの先輩方と話をするうちにその人柄と部の雰囲気に惹かれていきました。そこで新しいことを始めるならラグビー部かなと考えました。

僕なりにかなり真剣にどの部活にするか悩みました。中学時代に軟式テニス部、高校時代に水泳部に所属していましたが、どちらも後悔を残して引退しました。その話をすると長くなってしまうので割愛します。そこで大学では、何か一つのものに打ち込みたいと思いました。また自分のコンプレックスから逃げるのをやめようと思いました。僕は運動神経が悪いので、自分のできるスポーツにしか取り組んでいませんでした。団体競技などはどうせできないからと敬遠していました。そんな逃げ腰の自分が嫌でたまらなかったので、大学生になった今がそのコンプレックスを克服するチャンスだと思いました。そうしてラグビー部に入部することを決意しました。

上の文章を読むと、別にラグビー部ではなくてもよかったのではと思われてしまいそうですが、新しいものであれば何でもよかったという訳ではありません。先輩方とラグビー部に惹かれたからです。勿論幸大さんに出会わなければラグビーに興味がわくこともなかったと思います。これは媚びを売っている訳ではございません。僕の本心でございます。

大変長々と稚拙な文章を申し訳ありません。
お次は岩本海成君です。
入部理由と今やってみたいポジションがあったら教えて!

長文失礼しました。

おばんですー

 written by 鐙 裕樹 投稿日時:2015/05/14(木) 14:27

 こんにちは。今日から一年生がリレー日記デビューということなので、僕がトップバッターを務めさせてもらいます。
 
 まずは自己紹介からですね。秋田県立秋田高等学校出身、鐙 裕樹(あぶみ ひろき)と申します。鎧ではありませんので、注意してください。生まれは埼玉県の三郷市で、その後しばらく千葉県船橋市に移り、幼稚園から小学校卒業までは神奈川県横浜市に住み、中高は秋田に住みました。僕は高校時代、部活をするためだけに学校に通っていたようなものだったので、当然勉強を完全におろそかにしており、一年間横浜のトフルゼミナールで勉強してなんとか外語大に合格できました。なぜウルドゥー語を専攻したかというと、まず一つはアラビア文字が美しいとおもったことと、パキスタン・アフガニスタンなどの地域に興味があったからです。正直合格できると思っていなかったので、合格発表の日、パソコンで自分の番号を見つけたときはもう号泣しました。最高でした。

 僕は高校時代ラグビー部に所属しており、三年間それはもうキツイ毎日でした。そもそも僕がラグビーと出会ったのは、小学校二年生のときでした。ある週末の日曜日、父が僕に遊びに行こうと誘い、何も知らずついて行った先はとあるラグビーグランドでした。そのまま何もわからず練習に参加させられ、そのうち気付いたら試合に出され、、、、そして気づいたら現在もラグビーをやっている、そんな状態です。しかし、ここに至るまでラグビーには楽しいことはもちろん、かなりツライことも経験させられました。以下、小学校時代から順を追って僕のラグビー体験記を述べさせてもらいます。

 まずは小学校時代。一言で言えば、ほぼ無敗の五年間でした。というのも、当時所属していた神奈川の某スクールには本当に上手な人たちがたくさん集まっており、小学校三年生から始まる神奈川県大会は六年生まで全て優勝するという、それはそれは強いチームでした。そのときのスクールのチームの同期は現在、ラグビーの強豪校といわれる大学でレギュラーを目指して頑張っており、すでにレギュラーになった者もいるそうです。この五年間、当たり前のように勝ち続けていた経験は、多分ラグビーを少なからず「面白いな」と思わせてくれた要因だと思っています。

 次は、秋田で始まった中学校時代。一言で言えば、最悪でした。もちろん楽しいこともありました。まったく知らない新しい土地で独りぼっちだった僕に、ラグビースクールの先輩方がたくさん声をかけたり遊んで下さり、早く秋田に慣れることができまそた。しかしラグビーの面から見てみると、あの小学校時代の栄華はどこへ行った?と思うほど試合には勝てず、自分自身負けに慣れていったような感覚がありました。そしてとどめは中学三年の時。僕がキャプテンをしていた最後の一年のチームは個が強い人が多く、夏は他の各上相手にも対等に戦えていました。しかしどうしたことでしょう、月日が経つにつれチーム内のまとまりがどんどん崩れていき、最後には監督からも見放されて地のどん底状態でした。その理由は未だにわかりません。あの時は、かなり真剣にラグビーをやめようと考えました。しかしそれでも続けていけたのは、親しかった同期が支えてくれたからだと僕は確信しています。

 次こそはもっと本気でラグビーをしたい!そんな期待とやる気にを胸に、県下の名門秋田高校に入学しました。この高校三年間はあまりにも濃厚な三年間で、すベては語り尽くせないので、一番印象的だった試合二つを取り上げたいとおもいます。
 この二つの試合はいづれも県の花園予選であり、一つ目は僕が一年生のときの準決勝VS秋田中央高校の試合です。その代の三年生は五人と少なく、チームの部員数もそこまで多いほうではありませんでした。秋田中央高校とは夏の試合で、60点差近くの大敗を喫していたため、おそらくほとんどの人が秋田中央が余裕で勝利するだろうと思っていたはずです。しかし、完全に各上の相手に対しても三年生たちは本気で秋田中央を倒そうとしていました。自分たちのチームは決定力に欠けるチームであったので、DFを鍛えてロースコアにもちこまないと厳しいため、何回も相手のビデオをみて攻撃パターンを研究したり、練習の大半をDF練習に割きました。
 そして試合当日。見事にDFがうまく機能して、前半を0対0で折り返しました。そして後半相手のペナルティーからキックで3点を入れ、なんと先制点を取ったのです。その後中央の反撃で1トライを奪われ3対10に。それでもラスト5分から試合終了まで、相手ゴールを目前に何度も攻め続けました。しかし試合は終了、3対10で敗れました。この試合に僕は14番で出場しており、先輩方がここまで本気になって戦う姿に本当に感動しました。確かに部員数は多いほうがいいのでしょう。けれど人がいないことを理由にせず、今できることを考えて努力していた先輩がたは本当に尊敬しています。
 二つ目の試合は、自分が三年生の時に迎えた最後の予選の試合です。試合前にも関わらず、最後の円陣のとは、三年間の思いが交錯して涙がとまりませんでした。結果は初戦敗退。同じトーナメントのブロックに秋田中央がいたので、二年前の三年生のリベンジを果たそうと思っていましたが、そこに行くことすら叶いませんでした。それでも、三年間必死にラグビーしてこれてよかったと思え、とてもとても厳しく怖い監督、一緒に戦った仲間と会えて本当によかったよ思えました。

 前述したように、ラグビーには精を出したものの勉学にはまったく励まなかったため、一年間の浪人生活もなかなか大変なもので、ラグビーについて考えている余裕はありませんでした。しかし、浪人中毎日カンタベリーのジャージを着て登校していた僕は試験当日にも同じ服を着ていき、それに気づいたのか先輩の中村拓真さんに声をかけて頂いて「お、外大にもラグビー部あるのか!」と試験一時間前にして新たなモチベーションが加わり、かろうじて合格できました。拓真さんありがとうございます。経験年数がやや長いのにも関わらず、ご覧の通り体もスキルもまったくの低レベルです。それでも、ラグビーは大好きです!またこのようにラグビーができることが嬉しくてたまりません。早くチームの力になれるように頑張るので、みなさんよろしくお願いします。

 最後に、同期のみんなこれからよろしく。今までラグビーやってきた中で、自分は同期に支えられた面が多かったので、今いるメンバー誰一人欠けることなく、何かあったら相談しあえる関係を築いていきたいと心から思っています。四年間頑張っていこう!

 次は井尾圭秀君です。自由に自己紹介お願い!

一年生諸君、ラグビー部へようこそ

 written by 王 冠超 投稿日時:2015/05/11(月) 17:55

 世界中リレー日記をご覧になっている皆様、こんにちは。
 某海運会社の説明会から帰ってきて、今図書館の中にいる四年生の王 冠超です。

 先日、鈴木ラグビーのジャージを着ていた木村君が入部してくれたので、なんと今年の新入部員が9人になりました!!
 ここからは、9人の新入部員に現実生活では伝えることができないメッセージを伝えたいと思います。
 
 まず、たくさんのサークルや部活動のなかから、ラグビー部を選んでくれてありがとう。我々も、同じグランウドで一緒に練習をしたり、声を出したり、そういう仲間が増えることは何よりもうれしく思っています。
 これから四年間(友希は三年間)外大のラグビー部として生活するわけですが、いろいろ厳しい目にあうかもしれません。練習中怒られたり、体が痛いのに授業に出なくちゃいけない場面が常にあると思います。その時に、大切になってくるのが、やはり仲間の存在です。部活は、ただ一緒に練習をする団体だけではなく、いろんな悩みをサポートしてくれる団体でもあります。心が折れたときとか、もうダメだと思うときとかは、一人で抱え込まずに、仲間を信じて相談してください。そして、仲間が落ち込んでいるときに、それを支えてあげる存在になってください。
 これから、一年間しか一緒にいることができないが、宜しくお願いします。

 なおゆきのふりに答えます。
 先日に行われた試合は、いまのチームが15人制大会での初めての勝利でした。去年の国公立戦が初戦で大敗したので、今年は初戦大勝して、すごくうれしかったです。しかし、同時にこの勝利に関しては、けが人である自分は全く力にならなかったことを思うと、不甲斐無いです。
 二回戦に向けて、いいwarming upになったではないでしょうか。二回戦も勝って、一橋と試合をやりましょう!
 
 なおゆきくん、グラウンドで会いたいです!


 ここで、わたるくんにバトンタッチします。
 ラグビーしてよかったなって思う瞬間を教えてください(但し、彼女ができたことを除く)





 
 
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