リレー日記 2010/11
<<前へ |
こっちのが大事
投稿日時:2010/11/28(日) 00:39
ほんとにすいません、続きを更新したつもりが森から更新されてないと指摘され書き直すはめになりました。
では続きです。
って自分でも意固地になってるのはわかってたけど最後までうまく一歩ひけなかったんです。
とりあえず瀬戸!頑張ってくれ!やっぱ仲良くやってきたから最後の飲み会で言い合ったりしたけど本当に応援してる。遥にも沢山迷惑かけて言い合って腹も立てたけどオレみたいなやつもいるんだとわかってほしい。
こんなオレでもだいちゃんみたいに誰から見てもしっかりとした先輩になって後輩とかにしたりながらいろいろ教えたり可愛がってあげたいとおもってる!
なんかとりあえずバーッと書いたんですけど
後輩に伝えたいのは勝ちたいと思う気持ちや集中する大事さは当然のことながらやっぱり人間関係のことでした。
だから少ない人数でもいいから仲良い先輩やOB作っていろんなこと教えてもらおう!(多分教えるの好きな人多いよ)
それでいいところを吸収して自分の可愛がってる後輩に教えてあげよう!
そしたら100年後は素晴らしい人間で溢れてるさ!違うか??
竹本絢ー
では続きです。
って自分でも意固地になってるのはわかってたけど最後までうまく一歩ひけなかったんです。
とりあえず瀬戸!頑張ってくれ!やっぱ仲良くやってきたから最後の飲み会で言い合ったりしたけど本当に応援してる。遥にも沢山迷惑かけて言い合って腹も立てたけどオレみたいなやつもいるんだとわかってほしい。
こんなオレでもだいちゃんみたいに誰から見てもしっかりとした先輩になって後輩とかにしたりながらいろいろ教えたり可愛がってあげたいとおもってる!
なんかとりあえずバーッと書いたんですけど
後輩に伝えたいのは勝ちたいと思う気持ちや集中する大事さは当然のことながらやっぱり人間関係のことでした。
だから少ない人数でもいいから仲良い先輩やOB作っていろんなこと教えてもらおう!(多分教えるの好きな人多いよ)
それでいいところを吸収して自分の可愛がってる後輩に教えてあげよう!
そしたら100年後は素晴らしい人間で溢れてるさ!違うか??
竹本絢ー
わかってたんだ
投稿日時:2010/11/27(土) 08:26
どうもおはようございます。ラオス4年の竹本です。とうとう最後の日記となりました、自分は何度も言ってますが文章 がとても苦手なのでとりあえず思うまま今回こそは長く書いてみようと思います。
まずは振り返ってみて。
1年時、今いる人は信じてくれないかもしれないけど最初入った時は遥とか秋人にも負けたくなくって誰よりも早く来て練習してました。まぁ王子さんや伊藤さんが10分頃に来るからそれまでにボール出さなきゃってのもあってがでかいんですが。
(ここまではちょー熱いやつだけどこっからダメなやつだから)
夏頃からだいちゃんも早く来てくれるようになって、2人でずっとパスしてたね。で何故かだんだんだいちゃんが用意するようになってって、2年時、ほんとに思いだすだけで嫌になります。わかりやすく言うと遅刻ですね。朝練で起きれなくて2回ぐらいは練習後に起きてグラセンだけしに行ったりもしました。たいすけさんの代の人には未だに会うと思い出してしまいます。
そして3年時、自分では可愛がってくれたと思っているきよしさんが一番上になって、リチャードさんがキャプテンになることで嫌いだったコンタクトやディフェンスを嫌でもやらなきゃならない環境になり、目標であり見本だったしゅうさくさんが帰ってきて、自分がうまくなるチャンスでもあり今度こそは先輩に恩返ししたいと思って矢先にアレがありました。一年生には誰にも言わなかったけど、合宿前のテストで不正行為で3ヶ月の謹慎くらってんだよね。当たり前だけど合宿も行けなかったし大阪戦もできなかったし何より怪我でもないのにシーズンを棒に振ってしまった、最終戦と同じくらい泣いたなー。何に泣けたかってやっぱ先輩に申し訳なくって。
夏練が始まってみんなが練習しだすと最初の3日だけ武蔵野森公園で練習時間だけ走ってたけど学校にも入れなかったからグランドの外の更に外から見てるだけでした。
それでもう戻んないって決めて、なんかわかんないけど戻ってきて4年時は頑張ろうって決めました。
けど夏合宿でまたやらかして波多野とやりあって、てかやられてすごいキレて、今まで仲良くしてた後輩とも少し距離を置いてしまいました。
だけどやっぱり大切にしてきた後輩だし、けどひくのやだしでなんか練習も気持ち入んなくって、まぁ始まっちゃえばいいんだけど。
でもラグビー部以外のやつらと話すと、竹本が一歩ひいて、許して今までどおりじゃんて言われて、
続く
まずは振り返ってみて。
1年時、今いる人は信じてくれないかもしれないけど最初入った時は遥とか秋人にも負けたくなくって誰よりも早く来て練習してました。まぁ王子さんや伊藤さんが10分頃に来るからそれまでにボール出さなきゃってのもあってがでかいんですが。
(ここまではちょー熱いやつだけどこっからダメなやつだから)
夏頃からだいちゃんも早く来てくれるようになって、2人でずっとパスしてたね。で何故かだんだんだいちゃんが用意するようになってって、2年時、ほんとに思いだすだけで嫌になります。わかりやすく言うと遅刻ですね。朝練で起きれなくて2回ぐらいは練習後に起きてグラセンだけしに行ったりもしました。たいすけさんの代の人には未だに会うと思い出してしまいます。
そして3年時、自分では可愛がってくれたと思っているきよしさんが一番上になって、リチャードさんがキャプテンになることで嫌いだったコンタクトやディフェンスを嫌でもやらなきゃならない環境になり、目標であり見本だったしゅうさくさんが帰ってきて、自分がうまくなるチャンスでもあり今度こそは先輩に恩返ししたいと思って矢先にアレがありました。一年生には誰にも言わなかったけど、合宿前のテストで不正行為で3ヶ月の謹慎くらってんだよね。当たり前だけど合宿も行けなかったし大阪戦もできなかったし何より怪我でもないのにシーズンを棒に振ってしまった、最終戦と同じくらい泣いたなー。何に泣けたかってやっぱ先輩に申し訳なくって。
夏練が始まってみんなが練習しだすと最初の3日だけ武蔵野森公園で練習時間だけ走ってたけど学校にも入れなかったからグランドの外の更に外から見てるだけでした。
それでもう戻んないって決めて、なんかわかんないけど戻ってきて4年時は頑張ろうって決めました。
けど夏合宿でまたやらかして波多野とやりあって、てかやられてすごいキレて、今まで仲良くしてた後輩とも少し距離を置いてしまいました。
だけどやっぱり大切にしてきた後輩だし、けどひくのやだしでなんか練習も気持ち入んなくって、まぁ始まっちゃえばいいんだけど。
でもラグビー部以外のやつらと話すと、竹本が一歩ひいて、許して今までどおりじゃんて言われて、
続く
ラグラグ
投稿日時:2010/11/25(木) 13:03
こんにちは。イタリア語科4回の磯山です。
外語祭でセーラー服着て模擬店で働いていたり踊っていたりしていたので更新が遅くなりました。すいません。
高校から始め約6年間ラグビーをしていたわけですが結局骨は1度も折りませんでした。病院に通った回数も最後の耳鼻科を除けば10回行ってないと思います。こんな危ないスポーツをしているのにこれまで大きなケガなしですごせて僕は幸せだと思います。お父さんお母さんこんなに健康に育ててくれてありがとうございました。
ラグビー部での思い出はたくさんありますがやっぱりリーグ戦最終戦の海洋との試合はラグビーをしていた6年間の中で最も忘れられないものとなりました。ラグビーの試合であんなに泣いたのも初めてでした。高校の時にも格上の私立高校と県ベスト4をかけて試合があり、自分たちの高校は勝ったのですがその時には僕は試合に出ていなかったので涙はまったくでませんでした。春には自分のスローのミスで完敗した海洋大学にリーグ戦最終戦、どうしても勝たなくてはいけない試合で勝てたことは一生の思い出です。
外大ラグビー部の仲間たちは僕にとって一生の宝物です。尊敬する先輩方、頼りになる後輩、そしてどんな時でも信頼できる同期。根暗で人と話すのが苦手な僕がこんなに多くの仲間に出会えたこと、本当に外大ラグビー部には感謝しています。
大学入学当初はラグビーなんて3Kなスポーツはもうしない、適当なサークルに入って友達できればいいやと思っていましたが、イタリア語科の同期の伊東くんや岡田先輩に誘われ、何回か練習を見たり参加するうちに荒古くんも言っていた「やらなくなるとラグビーやりたくなる」という病気にかかり入部してしまいました。でも今考えてみると適当なサークルに入っていたらこんなにも信頼できる仲間たちには出会えてなかったろうなと思います。外大ラグビー部入って本当によかったです!
これからもお世話になった外大ラグビー部には何か力になれたらいいなと思います。まずは来週のOB戦がんばります!
最後に、外大ラグビー部関係者のみなさま本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。
磯山秋人
外語祭でセーラー服着て模擬店で働いていたり踊っていたりしていたので更新が遅くなりました。すいません。
高校から始め約6年間ラグビーをしていたわけですが結局骨は1度も折りませんでした。病院に通った回数も最後の耳鼻科を除けば10回行ってないと思います。こんな危ないスポーツをしているのにこれまで大きなケガなしですごせて僕は幸せだと思います。お父さんお母さんこんなに健康に育ててくれてありがとうございました。
ラグビー部での思い出はたくさんありますがやっぱりリーグ戦最終戦の海洋との試合はラグビーをしていた6年間の中で最も忘れられないものとなりました。ラグビーの試合であんなに泣いたのも初めてでした。高校の時にも格上の私立高校と県ベスト4をかけて試合があり、自分たちの高校は勝ったのですがその時には僕は試合に出ていなかったので涙はまったくでませんでした。春には自分のスローのミスで完敗した海洋大学にリーグ戦最終戦、どうしても勝たなくてはいけない試合で勝てたことは一生の思い出です。
外大ラグビー部の仲間たちは僕にとって一生の宝物です。尊敬する先輩方、頼りになる後輩、そしてどんな時でも信頼できる同期。根暗で人と話すのが苦手な僕がこんなに多くの仲間に出会えたこと、本当に外大ラグビー部には感謝しています。
大学入学当初はラグビーなんて3Kなスポーツはもうしない、適当なサークルに入って友達できればいいやと思っていましたが、イタリア語科の同期の伊東くんや岡田先輩に誘われ、何回か練習を見たり参加するうちに荒古くんも言っていた「やらなくなるとラグビーやりたくなる」という病気にかかり入部してしまいました。でも今考えてみると適当なサークルに入っていたらこんなにも信頼できる仲間たちには出会えてなかったろうなと思います。外大ラグビー部入って本当によかったです!
これからもお世話になった外大ラグビー部には何か力になれたらいいなと思います。まずは来週のOB戦がんばります!
最後に、外大ラグビー部関係者のみなさま本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。
磯山秋人
これで本当に最後
投稿日時:2010/11/23(火) 00:19
ついに最後のリレー日記を書くことになってしまいました、モンゴル語科4年の荒古です。
何を書こうか悩んでたら久しぶりに更新が遅くなってしまいました。嘘です、バイトに明け暮れてました、申し訳ありません。
ラグビー部を引退したことによって、これからは本業の野球と水泳に精を出すこととなりました。長期休業に入る度に「あ~早く体当ててぇ」と感じていましたが、もう本気で体を当てるのは次の納会で最後になるんですね、寂しい限りです。でもこれでもう慢性的な体の痛みとの戦いから解放されたと思うと嬉しさもこみ上げてきますね。
まだ引退して1週間しか経っていないので、高校時代からラグビーを続けている先輩や同期、後輩が陥るという「やらなくなるとラグビーやりたくなる」という感覚は、今のところ僕には訪れていません。特に4年になってコンバートしたプロップをまたやるとか考えたくもありません(笑)
思い返せば短いともいえるし、長かったともいえる4年間でした。
新入生として大学に入り、軟式野球部に入ろうとしたけど当時4年生だったH田さんに止められ、ではアメフトでもやってみるかと入部を決意した日に同じく1年生だったラグビー狂のI東君に止められ、試合を見てアツさに惹かれて詐欺のような形でラグビー部に入部してしまい、ラグビー部最長身ともてはやされるも3日後に入部した森君に抜かれ、何の特徴もないヒョロい1年生に格下げ。それでも当時人数の少なかったラグビー部では入部順ではあったもののジャージをもらい国公立戦に出場させてもらいました。あの時はわけもわからずライン参加して見事にパスも放っていた覚えがあります。タックルされれば一撃で呼吸困難に陥り、そのとき強靭な肉体の必要性に気づいたと言っても過言ではないでしょう。
それからは連日筋トレの日々。高校ラグビー経験者でもない僕がラグビーのスキルで認めてもらおうなんて思えず、まず初めに取り組んだのが筋トレでした。最低でも週6でトレセンに通っていた日々、「トレセンの主」とか言われていた時代もあったことと思います。
その甲斐あって成人式の同窓会から地元の友達と飲むと必ず脱がされるぐらいの体には成長できました。
筋力がついたというだけでも自分にとっては大きな自信となり、ロックとしてやっていけるかなとも思い始めた頃のエイトへの転向。
自分がこんなFWとしては花形とも言われるポジションについてもいいのかと思っていた矢先の靭帯断裂。
ここが僕にとって1番の挫折ポイントであり、1番時間の経過が長く感じた時期でした。
医者に「治るまで1年かかる」と言われ、完治する頃には3年の夏という診断。未経験で始めたラグビー、残り1年強でレギュラー復帰は無理だろうと考え、野球部への転部を真剣に考えてました。
それでも練習や試合を外から見てて、「自分が出ていたら…」などと考えているうちに3年生の夏になり、ラグビーを続けている自分がいました。やはり思っていた通りコンタクトの経験不足で足を引っ張ってばかりでした。
あっという間の最上級生。前々から噂はあったものの真剣には考えていなかったプロップへのコンバートが現実となり、体重増加や下半身強化が当面の課題となり、その結果ある程度のレベルでは戦えるようにはなれたと思います。その代償としてついてきたのが首と腰の慢性的な痛み。これを感じられるようになったことで歴代のプロップの方々への尊敬の念が生まれました。
最上級生となってからの1年、伊東組としては年間通してコンタクトに特化した練習を続けてきました。おかげで試合でも前に出るタックルやヒットする際のゲイン力は格段に上がったことと思います。シーズン開始くらいには、自分では「実は歴代最強じゃね?」とか思っていました。
それで驕りが生まれたとは思いませんが、なかなか2勝目があげられないままシーズンが進み、2部降格の危機が近づき、チーム全体でどうすれば格上である海洋大との最終戦に勝てるかを考えました。
いくつもの運も味方につき、見事勝利を収めることが出来たときには涙が止まりませんでした。
4日後の練習日、プレーオフに進めるか引退が決まるか、運命の海洋大対東邦大の結果を練習着のままグラウンドで携帯を持って待っていたときのチームの雰囲気、忘れられません。
かくして自分にとってプレーオフ初挑戦が始まる。シーズン初戦で勝利した相手とはいえ、明らかに自分達より強くなっている相手と認識し、挑戦者としての決意を持って臨みはしたものの、結果はボロボロ。自分達の甘さ、弱さなどが露呈した試合だった。
悔しくないと言えばもちろん嘘になる。しかしいくら後悔しても最終戦はもう二度と戦うことが出来ない。結果を受け入れるしかない。そう思った途端海洋大戦とは違った涙があふれてきました。
もう同じメンバーでラグビーをすることはできないだろうし、こんなに青春することもないだろうと思う。
だからこそ今更ではあるけど、これまで僕のラグビー人生に関わってくれた全ての方々に感謝の意を述べさせていただきたいと思います。
今までラグビー部を根底から支えてくださったOB・OGの方々、ゼロからラグビーを教えてくれた先輩方、バカばっかだけどまたいい奴らばっかの同期、頼りない先輩だったのに最後までついてきてくれた後輩、そしてキツイことを言われながらもいつも陰から支え続けてくれたマネージャー、並びに関係者の皆様。本当にありがとうございました。また、今後とも外大ラグビー部のことをよろしくお願いいたします。
入部からの思い出を書いていたらここまでの長文になってしまいました。これから書く同期のみんなは書くこと絞ったほうがいいよ。それでは最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
荒古直俊
何を書こうか悩んでたら久しぶりに更新が遅くなってしまいました。嘘です、バイトに明け暮れてました、申し訳ありません。
ラグビー部を引退したことによって、これからは本業の野球と水泳に精を出すこととなりました。長期休業に入る度に「あ~早く体当ててぇ」と感じていましたが、もう本気で体を当てるのは次の納会で最後になるんですね、寂しい限りです。でもこれでもう慢性的な体の痛みとの戦いから解放されたと思うと嬉しさもこみ上げてきますね。
まだ引退して1週間しか経っていないので、高校時代からラグビーを続けている先輩や同期、後輩が陥るという「やらなくなるとラグビーやりたくなる」という感覚は、今のところ僕には訪れていません。特に4年になってコンバートしたプロップをまたやるとか考えたくもありません(笑)
思い返せば短いともいえるし、長かったともいえる4年間でした。
新入生として大学に入り、軟式野球部に入ろうとしたけど当時4年生だったH田さんに止められ、ではアメフトでもやってみるかと入部を決意した日に同じく1年生だったラグビー狂のI東君に止められ、試合を見てアツさに惹かれて詐欺のような形でラグビー部に入部してしまい、ラグビー部最長身ともてはやされるも3日後に入部した森君に抜かれ、何の特徴もないヒョロい1年生に格下げ。それでも当時人数の少なかったラグビー部では入部順ではあったもののジャージをもらい国公立戦に出場させてもらいました。あの時はわけもわからずライン参加して見事にパスも放っていた覚えがあります。タックルされれば一撃で呼吸困難に陥り、そのとき強靭な肉体の必要性に気づいたと言っても過言ではないでしょう。
それからは連日筋トレの日々。高校ラグビー経験者でもない僕がラグビーのスキルで認めてもらおうなんて思えず、まず初めに取り組んだのが筋トレでした。最低でも週6でトレセンに通っていた日々、「トレセンの主」とか言われていた時代もあったことと思います。
その甲斐あって成人式の同窓会から地元の友達と飲むと必ず脱がされるぐらいの体には成長できました。
筋力がついたというだけでも自分にとっては大きな自信となり、ロックとしてやっていけるかなとも思い始めた頃のエイトへの転向。
自分がこんなFWとしては花形とも言われるポジションについてもいいのかと思っていた矢先の靭帯断裂。
ここが僕にとって1番の挫折ポイントであり、1番時間の経過が長く感じた時期でした。
医者に「治るまで1年かかる」と言われ、完治する頃には3年の夏という診断。未経験で始めたラグビー、残り1年強でレギュラー復帰は無理だろうと考え、野球部への転部を真剣に考えてました。
それでも練習や試合を外から見てて、「自分が出ていたら…」などと考えているうちに3年生の夏になり、ラグビーを続けている自分がいました。やはり思っていた通りコンタクトの経験不足で足を引っ張ってばかりでした。
あっという間の最上級生。前々から噂はあったものの真剣には考えていなかったプロップへのコンバートが現実となり、体重増加や下半身強化が当面の課題となり、その結果ある程度のレベルでは戦えるようにはなれたと思います。その代償としてついてきたのが首と腰の慢性的な痛み。これを感じられるようになったことで歴代のプロップの方々への尊敬の念が生まれました。
最上級生となってからの1年、伊東組としては年間通してコンタクトに特化した練習を続けてきました。おかげで試合でも前に出るタックルやヒットする際のゲイン力は格段に上がったことと思います。シーズン開始くらいには、自分では「実は歴代最強じゃね?」とか思っていました。
それで驕りが生まれたとは思いませんが、なかなか2勝目があげられないままシーズンが進み、2部降格の危機が近づき、チーム全体でどうすれば格上である海洋大との最終戦に勝てるかを考えました。
いくつもの運も味方につき、見事勝利を収めることが出来たときには涙が止まりませんでした。
4日後の練習日、プレーオフに進めるか引退が決まるか、運命の海洋大対東邦大の結果を練習着のままグラウンドで携帯を持って待っていたときのチームの雰囲気、忘れられません。
かくして自分にとってプレーオフ初挑戦が始まる。シーズン初戦で勝利した相手とはいえ、明らかに自分達より強くなっている相手と認識し、挑戦者としての決意を持って臨みはしたものの、結果はボロボロ。自分達の甘さ、弱さなどが露呈した試合だった。
悔しくないと言えばもちろん嘘になる。しかしいくら後悔しても最終戦はもう二度と戦うことが出来ない。結果を受け入れるしかない。そう思った途端海洋大戦とは違った涙があふれてきました。
もう同じメンバーでラグビーをすることはできないだろうし、こんなに青春することもないだろうと思う。
だからこそ今更ではあるけど、これまで僕のラグビー人生に関わってくれた全ての方々に感謝の意を述べさせていただきたいと思います。
今までラグビー部を根底から支えてくださったOB・OGの方々、ゼロからラグビーを教えてくれた先輩方、バカばっかだけどまたいい奴らばっかの同期、頼りない先輩だったのに最後までついてきてくれた後輩、そしてキツイことを言われながらもいつも陰から支え続けてくれたマネージャー、並びに関係者の皆様。本当にありがとうございました。また、今後とも外大ラグビー部のことをよろしくお願いいたします。
入部からの思い出を書いていたらここまでの長文になってしまいました。これから書く同期のみんなは書くこと絞ったほうがいいよ。それでは最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
荒古直俊
ラグビーって
投稿日時:2010/11/20(土) 10:33
キツくて、汚くて、臭いですよね。
どうも、リレー日記には二年ぶりに登場です、日本語科六回(えっ大学って四年までじゃないの?)の井上です。
このHPになり初日記だったため、書き方がわからずテンパってたら、催促メールが来ました。遅れてすいません。
先日を持ちまして、今度は本当に引退しました。今年はたった半年でしたが、現役OBという形でチームに参加させてもらってました。先輩方がそうして下さったように、僕も何かチームや後輩の役に立てれば、と復帰しプレーしていました。
ラグビー部での六年は本当に色々な事がありました。辛い事、きつい事、楽しい事、嬉しい事、等々。とにかくラグビー部やラグビーなくして今の自分はないし、ラグビー部に入ってなかった自分も想像がつきません。それ位、今の自分に影響を与え、これからもそうあり続けると思います。
色々な事があり過ぎて、とてもここでは書ききれないので、二年前のように各世代へメッセージを残し最後の挨拶とさせて頂きます。
四年生。
まずは四年間お疲れ様。引退した今は様々な想いが交錯していると思う。主将の遥が試合に出れず、またこれだけの人数をまとめるのはチームとして難しい状況だったけど、春から毎日のように取り組んできたキツくて痛い縦コンは本当に成果があったと思う。プレー
オフへ進めたことや、特に海洋戦での勝利など、取り組んできたこと、達成したことに誇りと自信を持って下さい。
卒業組は社会人同期として切磋琢磨し励まし合いながら頑張って行こう!
残る人らは、とりあえず就活頑張って、個人的にはまたラグビーをやってほしいと思います。自分自身も今年はたった半年だったけど、プレーヤーとしてさらに成長できたと感じるし、皆の経験はきっとチームの役に立つと思う。まぁ今はゆっくり休んで下さい。
三年生。
山口組(!?)として新たにスタートした来期のチーム。最上級生としてチーム作りに携わるのは今までに経験したことのない難しさを味わうと同時に、四年間で一番思い入れの強い充実した一年になると思う。プレー面で言えば、チーム内では目立つプレーができても、一部レベルではまだまだ力不足だと皆も実感できてると思う。今年以上に良いチーム、結果を残せるよう、悩み、努力し、悔いのないよう頑張って下さい。
二年生。
個性が強く、キャラ揃いの二年は仲が良くて羨ましいね!でも今年は怪我がちの奴らも多くて、もっと上手くなれたって奴もいるはず。笙作、笠井は良いモノ持ってるんだから怪我とか勿体無いよ。翔士は合宿で試合経験も積んで伸びたと思う。キックも最近良いしね。アタックをさらに磨いてくれ!穂積は怪我と腹を何とかしてまずはプレーだなぁ…。水黒はイケメン。TAMRAは鼻血。市園は部内恋愛。来年はチームの核となり、ラグビーのプレーの面でも活躍できるように頑張って下さい。
一年生。
ラグビー始めたばっかなのに、毎日のように怒られ、雑用やディフェンスばっかやらされ、正直つまらなかったかもしれない。でも、それは誰もが通る道。ルールにも慣れ、後輩が入ってくる二年生はプレーヤーとして大きく成長できる年です。しっかり筋トレやラグビーの研究をし、上手くなって下さい。
敢えて一つ厳しい事を言うと、もっと危機感を持った方がいいね。初心者だから、で通用するのは今年まで。3、4年になって出れればいいと思ってる奴らもいるかもしれないけど、今の上級生見れば出れてない人は普通にいるよね。後輩で、経験者やでかい奴やセンスある奴が入ってきたらすぐ抜かれちゃうし、俺みたいに目の上のたんこぶ先輩が残るかもしれない。ラグビーって痛くてキツいけど、試合出ないとつまんないし、出たからこそ味わえる興奮や感動も少しはわかるよね。
一回の試合で何かを掴める時もあるし。自分も今でこそタックルにいくようになったけど、実は三年までタックルが苦手で、岡村さんとかにいつも怒られてた。けど、三年の時の大阪戦で思いっきり飛び込んだら、ナイスタックルが決まってタックルのコツを掴んだ。それ以来、小さい自分でもデカい奴らをひっくり返せるタックルが好きになったし、ラグビー観も変わった。
何が言いたいかと言うと、一回の試合が数回分の練習に勝ることもあるんだからまずは試合に出ろ!ってこと。試合に出て活躍するために何が必要かよく考え、まだ遅くないから今から必死で頑張って下さい。成長した姿を見れるのを楽しみにしてます。
最後に六回生…
オデしかおらん!!!六回生ともなると偉そうだなぁ…
締めます。リ・オ・デ・ジャネイロ!!!
長くなってすいません。
最後に、今までお世話になったOB OGの方々、尊敬する先輩方、最近ようやく仲良くなった同期、支えてくれた後輩、マネージャー。関係者の皆様。関わった全ての方々に感謝とお礼を申し上げます。今までありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願い致します。
井上友裕
どうも、リレー日記には二年ぶりに登場です、日本語科六回(えっ大学って四年までじゃないの?)の井上です。
このHPになり初日記だったため、書き方がわからずテンパってたら、催促メールが来ました。遅れてすいません。
先日を持ちまして、今度は本当に引退しました。今年はたった半年でしたが、現役OBという形でチームに参加させてもらってました。先輩方がそうして下さったように、僕も何かチームや後輩の役に立てれば、と復帰しプレーしていました。
ラグビー部での六年は本当に色々な事がありました。辛い事、きつい事、楽しい事、嬉しい事、等々。とにかくラグビー部やラグビーなくして今の自分はないし、ラグビー部に入ってなかった自分も想像がつきません。それ位、今の自分に影響を与え、これからもそうあり続けると思います。
色々な事があり過ぎて、とてもここでは書ききれないので、二年前のように各世代へメッセージを残し最後の挨拶とさせて頂きます。
四年生。
まずは四年間お疲れ様。引退した今は様々な想いが交錯していると思う。主将の遥が試合に出れず、またこれだけの人数をまとめるのはチームとして難しい状況だったけど、春から毎日のように取り組んできたキツくて痛い縦コンは本当に成果があったと思う。プレー
オフへ進めたことや、特に海洋戦での勝利など、取り組んできたこと、達成したことに誇りと自信を持って下さい。
卒業組は社会人同期として切磋琢磨し励まし合いながら頑張って行こう!
残る人らは、とりあえず就活頑張って、個人的にはまたラグビーをやってほしいと思います。自分自身も今年はたった半年だったけど、プレーヤーとしてさらに成長できたと感じるし、皆の経験はきっとチームの役に立つと思う。まぁ今はゆっくり休んで下さい。
三年生。
山口組(!?)として新たにスタートした来期のチーム。最上級生としてチーム作りに携わるのは今までに経験したことのない難しさを味わうと同時に、四年間で一番思い入れの強い充実した一年になると思う。プレー面で言えば、チーム内では目立つプレーができても、一部レベルではまだまだ力不足だと皆も実感できてると思う。今年以上に良いチーム、結果を残せるよう、悩み、努力し、悔いのないよう頑張って下さい。
二年生。
個性が強く、キャラ揃いの二年は仲が良くて羨ましいね!でも今年は怪我がちの奴らも多くて、もっと上手くなれたって奴もいるはず。笙作、笠井は良いモノ持ってるんだから怪我とか勿体無いよ。翔士は合宿で試合経験も積んで伸びたと思う。キックも最近良いしね。アタックをさらに磨いてくれ!穂積は怪我と腹を何とかしてまずはプレーだなぁ…。水黒はイケメン。TAMRAは鼻血。市園は部内恋愛。来年はチームの核となり、ラグビーのプレーの面でも活躍できるように頑張って下さい。
一年生。
ラグビー始めたばっかなのに、毎日のように怒られ、雑用やディフェンスばっかやらされ、正直つまらなかったかもしれない。でも、それは誰もが通る道。ルールにも慣れ、後輩が入ってくる二年生はプレーヤーとして大きく成長できる年です。しっかり筋トレやラグビーの研究をし、上手くなって下さい。
敢えて一つ厳しい事を言うと、もっと危機感を持った方がいいね。初心者だから、で通用するのは今年まで。3、4年になって出れればいいと思ってる奴らもいるかもしれないけど、今の上級生見れば出れてない人は普通にいるよね。後輩で、経験者やでかい奴やセンスある奴が入ってきたらすぐ抜かれちゃうし、俺みたいに目の上のたんこぶ先輩が残るかもしれない。ラグビーって痛くてキツいけど、試合出ないとつまんないし、出たからこそ味わえる興奮や感動も少しはわかるよね。
一回の試合で何かを掴める時もあるし。自分も今でこそタックルにいくようになったけど、実は三年までタックルが苦手で、岡村さんとかにいつも怒られてた。けど、三年の時の大阪戦で思いっきり飛び込んだら、ナイスタックルが決まってタックルのコツを掴んだ。それ以来、小さい自分でもデカい奴らをひっくり返せるタックルが好きになったし、ラグビー観も変わった。
何が言いたいかと言うと、一回の試合が数回分の練習に勝ることもあるんだからまずは試合に出ろ!ってこと。試合に出て活躍するために何が必要かよく考え、まだ遅くないから今から必死で頑張って下さい。成長した姿を見れるのを楽しみにしてます。
最後に六回生…
オデしかおらん!!!六回生ともなると偉そうだなぁ…
締めます。リ・オ・デ・ジャネイロ!!!
長くなってすいません。
最後に、今までお世話になったOB OGの方々、尊敬する先輩方、最近ようやく仲良くなった同期、支えてくれた後輩、マネージャー。関係者の皆様。関わった全ての方々に感謝とお礼を申し上げます。今までありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願い致します。
井上友裕
«前へ |
2010年11月
<<前月 | 翌月>> |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
|